ヒラリー・ステップ
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2010年に南東稜から撮影されたエベレストの山頂付近の写真。左側の影の中に2人の登山者が写っている周辺がヒラリー・ステップに当たる。上記写真のより広い範囲を映した写真。影の落ちた左側の斜面がエベレスト南西壁、右側が南東壁で、右上の山頂付近にはエベレスト東壁の上端が写っている。2015年以前に撮影された写真。最高点がエベレスト山頂であり、そこから右側へ向かう南東稜の傾斜路の先にヒラリー・ステップの断崖が写っている。その右側では再び標高が上がりエベレスト南峰がある。地図

ヒラリー・ステップ (Hillary Step) は、エベレストの山頂付近の標高8790 mにあった、高さ約12 mの切り立った岩壁[1]
概要

この地形は2015年に起きたネパール地震によって変化し、消滅した可能性もある[2]。エベレスト主峰と南峰を結ぶ南東稜の中ほどに存在し、南東稜ルートで登頂を目指す登山者にとって実質的な最後の難所であった[3]。ネパール側のノーマルルートにおける最大の技術的難関としても知られていた[4]。積雪の多いシーズンにはアイスクライミングによって岩壁を迂回できた[5]。ここから転落すると、(登山者から見て)右側ならば3000 m、左側ならば2400 mほど滑落する危険がある[6][7]。登山家のアナトリ・ブクレーエフ(英語版)は彼の著書 The Climb で1996年にヒラリー・ステップの基部からロープで吊るされた登山者の遺体を目撃したことを記述している[8]。ある登山隊はこのステップについて「奮闘を要する (strenuous)」と述べている一方で、風雨から登山者を守る効果もいくらか果たしていた[9]。支援なしでのヒラリー・ステップの登攀はヨセミテ・デシマル・システム(英語版)でクラス4に分類されるが、標高が8800 mに近いことには留意を要する[10]
歴史

ヒラリー・ステップの名は、最初にこの岩壁を登ったエドモンド・ヒラリーに由来する。彼はシェルパのテンジン・ノルゲイとともに1953年イギリスエベレスト遠征隊(英語版)に参加し、エベレスト初登頂を成し遂げる過程でここを経由した。彼らは1953年5月29日に、氷雪と岩の間にあった裂け目を伝ってここを登攀した[11]。ヒラリーの報告によると、このステップに積もった雪は標高の低い場所の雪よりも強固なものだった[12]。ヒラリーは1953年に次のように述べている[13][14]1時間ほど順調に進んだ後、この稜線で最も手強そうな課題の足元にたどり着いた。高さ40フィートほどにも及ぶ岩のステップだ。ステップの存在は航空写真で知っていたし、Thyangboche(英語版)から望遠鏡でも視認していた。この高度ではこのステップが成功と失敗を分けることになるのは実感できた。この滑らかでほとんど手足を掛ける余地の無い岩それ自体は、湖水地方にいるロッククライミングの手練れであれば、日曜の午後にでも取り組むような課題だろう。しかしここでは、我々の弱々しくなった体力にとって越えがたい障壁だった。西側は切り立った断崖で進路を見出せなかったが、幸運にも他のやり方で挑める可能性が残っていた。東側には著しい雪庇があり、岩と雪の間には狭い裂け目が40フィートの岩全体を通じて伸びあがっていたのだ。テンジンはロープでつながれているので精一杯であったが、私は裂け目の中に押し込むように進路を取り、クランポンを後ろに蹴り出して、そのスパイクを私の背後にある氷雪の深くに沈め、地面から体を持ち上げた。小さな岩石の手掛かりや、振り絞れるだけの膝、肩、腕の全ての力を活用して、雪庇が岩に繋ぎ止められたままであることを心から祈りながら、クランポンを用いて文字通りで裂け目を上向きに後退して行ったのだ。私の進行はかなりの奮闘にもかかわらず遅かったが、着実なものだった。テンジンがロープを繰り出すにつれ、私は進路を少しずつ上に伸ばし、ついに岩の上に到達した。私は裂け目から広い岩棚へと自身の体を引きずり出した。しばらくの間、横たわって息を落ち着かせると、今や何ものも我々が山頂に至ることを止められないという強烈な決意を初めて実感したのだった。私は岩棚の上に立ち構えテンジンに登って来るように合図を送った。ロープを強く引っ張るとテンジンは裂け目の中を何とかよじ登り、ついに上端に達して疲労からその場に倒れ込んだ。それはまるで大変な抵抗の末に釣り上げられた巨大な魚のようだった。

ヒラリー・ステップは、ヒラリーらの直前に登頂に挑んだトム・ボーディロン(英語版)とチャールズ・エヴァンスのアタック隊も目にしていた。彼らは5月26日にエベレスト南峰に到達したが、時刻が午後1時と遅かったため山頂へ挑むことなく引き返している。ドーム状の雪で覆われた南峰からは、山頂へ至る最後の高低差90メートルの道筋を間近で見ることができた。彼らは雪の積もった穏やかな稜線を期待していたが、実際には細かな雪の弧と氷をまとった岩場であり、左側は急峻で、右側はオーバーハングした雪庇になっていた。それは3分の2ほど登ったところで手に負えそうのない40フィート(12メートル)の岩石ステップで遮られていた[15]
現代の登攀

近年では、ヒラリー・ステップの上昇および下降は固定ロープの助けを借りるのが一般的である。通例ではそのシーズンで最初にステップを登攀したチームがロープを設置する。登山者数の増加に伴いこのステップは頻繁に登山ルート上のボトルネックとなっており、ロープの順番待ちにかなりの時間を浪費することがある。これは効率的な登山と下山を行う上で問題である。ステップを同時にトラバースできる登攀者は1人までである[16]。2015年の崩壊以前では、良好な状況下では南峰からステップまで2時間、ステップの断崖に1?2時間、ステップ上部から主峰まで20分を要した[16]

2015年以前の下山ルートは次のようなものだった[3][5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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