この項目では、アメリカ合衆国テキサス州の都市について説明しています。その他の用法については「ヒューストン (曖昧さ回避)」をご覧ください。
市旗市章
愛称 : 宇宙の街
位置
右上: テキサス州におけるハリス郡の位置
左: ハリス郡におけるヒューストンの市域
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯29度45分46秒 西経95度22分59秒 / 北緯29.76278度 西経95.38306度 / 29.76278; -95.38306
ヒューストン(英語:Houston、[?hju?st?n, ?ju?st?n] ( 音声ファイル))は、アメリカ合衆国のテキサス州の都市。同州最大かつ北アメリカ有数の世界都市。全米4位となる2,304,580人(2020年国勢調査)の人口を抱える[1]。ハリス郡を中心に9郡にまたがるヒューストン都市圏の人口は7,122,240人(2020年国勢調査)にのぼる[2]。市域面積は1,500km2に及び、市郡一体の自治体を除くとオクラホマシティに次ぐ全米第2の広さである。 市は1836年8月30日にオーガストゥス・チャップマンとジョン・カービーのアレン兄弟によって、バッファロー・バイユーの河岸に創設された。市名は当時のテキサス共和国大統領で、サンジャシントの戦いで指揮を執った将軍のサミュエル・ヒューストンから名を取って付けられた。翌1837年6月5日にヒューストンは正式に市制が施行された。19世紀後半には海港や鉄道交通の中心として、また綿花の集散地として栄えた。やがて1901年に油田が見つかると、市は石油精製・石油化学産業の中心地として成長を遂げた。20世紀中盤に入ると、ヒューストンには世界最大の医療研究機関の集積地テキサス医療センターやアメリカ航空宇宙局(NASA)のジョンソン宇宙センターが設置され、先端医療の研究や航空宇宙産業の発展が進んだ。古くからこうした様々な産業を持ち、フォーチュン500に入る企業の本社数がニューヨークに次いで多いヒューストンは、テキサス州のみならず成長著しいサンベルトの中心都市の1つであり、アメリカ合衆国南部のメキシコ湾岸地域における経済・産業の中枢である。また、全米最大級の貿易港であるヒューストン港[3] を前面に抱え、ユナイテッド航空(旧・コンチネンタル航空)のハブ空港であるジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港を空の玄関口とする、交通の要衝でもある。また、日本を含む世界86ヶ国が領事館を置く[4][5]。 このようにヒューストンは工業都市・ビジネス都市としてのイメージが強い都市であるが、文化水準の高い都市でもある。ダウンタウンの南側には10以上の博物館・美術館が建ち並び、年間700万人の訪問者を呼び寄せるミュージアム・ディストリクトがある。ミュージアム・ディストリクトに隣接するエリアには、全米の総合大学の中で常にトップ25位以内の高評価を受けている名門私立大学、ライス大学のキャンパスが広がっている。一方、ダウンタウンの中心部に位置するシアター・ディストリクトはヒューストンにおける演技芸術の中心地で、演劇のみならず、オペラ・オーケストラ・バレエなど多彩な演技芸術の公演が行われている[6]。 ジョンソン宇宙センターの存在から、ヒューストンには1967年にスペース・シティ(宇宙の街)という公式な別名が付けられた[7]。地元住民はこの他にバイユー・シティ(バイユーの街)、マグノリア・シティ(マグノリアの街)、H・タウンなどと呼ぶこともある。 1836年8月にニューヨークの不動産起業家のオーガストゥス・チャップマン・アレンとジョン・カービー・アレンの兄弟はバッファロー・バイユー周辺のこの地に都市を創設すべく、6,642エーカー(約27平方キロメートル)の土地を購入した[8]。サンジャシントの戦いで名を馳せた将軍で、その年の9月にテキサス共和国の大統領に選出されたサミュエル・ヒューストンの名を取って、アレン兄弟はこの都市をヒューストンと名付けることを決定した[8]。ヒューストンは翌1837年6月5日に市制を施行し、ジェームズ・サンダース・ホルマンが初代市長に就任した[9]。またその年、ヒューストンはテキサス共和国の暫定首都及びハリスバーグ郡(現ハリス郡)の郡庁所在地となった[10]。1840年、バッファロー・バイユーに建設された新しい海港における貨物の積降や水上交通のビジネスを活性化させるため、ヒューストンには商業局が設置された[11]。 1860年頃にはヒューストンは綿花の集積地・輸出拠点として栄え、商業や鉄道交通が発展した[10]。テキサス州内陸部各地からの鉄道はヒューストンで合流し、ガルベストンやボーモントの港へと通じていた。南北戦争中、ジョン・B・マグルダー将軍はガルベストンの戦いにおいてヒューストンを隊の集合地とし、市内には同将軍の司令部が置かれた[12]。南北戦争が終結すると、ヒューストンの実業家たちは市の中心部とガルベストン港との間での商業を活性化させるため、イニシアチブを取ってバイユー網の拡張に努めた。 1900年にガルベストン・ハリケーンが上陸してガルベストンの港町が壊滅的な被害を受けると、内陸のヒューストンにより安全な、水深の深い、近代的な港を造る機運が高まった[13]。翌1901年、ボーモントの近くのスピンドルトップ油田で石油が見つかると、ヒューストンでは石油産業が興った[14]。さらにその翌年、1902年には、当時の大統領セオドア・ルーズベルトがヒューストン港の運河、ヒューストン・シップ・チャネルの整備費用100万ドル(当時)の計上を承認した。掘削に7年の歳月を費やした後、1914年、大統領ウッドロウ・ウィルソンはヒューストン港を開港した。1930年には人口292,352人を数え、サンアントニオとダラスを抜いてテキサス州最大の都市になった[15]。 ヒューストンのダウンタウン、1910年 第二次世界大戦が開戦すると、ヒューストン港の貨物取扱量は減少し、積降は保留とされるようになった。しかし、戦争需要から市の経済はむしろ活性化した。戦時中の石油化学製品や合成ゴムの需要増加に対応するため、シップ・チャネル沿いには石油化学工場や製造工場が建設された[16]。地元の造船業も増産し、市の成長を促した[17]。経済成長をエリントン・フィールド空港は、もとは第一次世界大戦の最中に設置されたものであったが、航空士や爆撃手の上級訓練センターとして生まれ変わった[18]。1945年、M.D.アンダーソン財団はテキサス医療センターを設置した。第二次世界大戦の終結とともに、ヒューストンの経済は再び港湾中心に戻った。1948年、近隣の所属未定地を合併したことにより、ヒューストンの市域はそれまでの2倍以上になり、地域全体にわたって広がり始めた[9][19]。1950年代に入り、エアコンが普及し始めると、蒸し暑いヒューストンの夏も快適に過ごせるようになり、多くの企業がヒューストンに移転してきた。その結果、ヒューストンの経済は高度成長期を迎え、エネルギー産業を中心とした経済に移行していった[20][21]。1961年には有人宇宙船センター(1973年にジョンソン宇宙センターに改称)が設置され、ヒューストンには航空宇宙産業が興った。 1970年代に入ると、北部のラストベルトから南部のサンベルトへの人口と産業の移動が始まり、ヒューストンの人口は急増した[22]。1973年の第一次オイルショックで原油価格が高騰すると、大量消費型の製造業を中心としていた北部の工業都市が軒並み衰退する一方で、産油地であるヒューストンは潤い、石油産業を中心に創出された雇用を求めて大量の住民が移入してきた。しかし、1980年代中盤に入ると原油価格が暴落し、経済は沈滞、人口増加のペースも鈍化した。そこに1986年のチャレンジャー号爆発事故が追い討ちをかけ、航空宇宙産業も打撃を受けた。アメリカ経済そのものの低迷もヒューストンの地域経済に影響を及ぼした。その教訓から1990年代以降、ヒューストンは経済の多様化に努め、航空宇宙産業やバイオテクノロジーといったハイテク分野に力を入れることで石油化学産業への依存度を減らしてきた。 2021年2月、テキサス州を大寒波が襲い停電を伴う電力危機(テキサス州電力危機)が発生。ヒューストンでは一般家庭の電気供給に支障を来したほか、浄水場からの水圧が低下や凍結がいたるところで発生して上水道の供給がままならなくなった。浄水場の機能に関連したトラブルは、翌年の2022年11月27日にも発生、数日間にわたり水道水を沸騰させてから使用するよう利用者に通告がなされた[23]。 アメリカ合衆国統計局によると、ヒューストン市の総面積は1,558.4km2(601.7mi2)である。そのうち1,500.7km2(579.4mi2)が陸地で57.7km2(22.3mi2)が水域である。総面積の3.70%が水域になっている。ダウンタウンの標高は約15mである[24]。市の最高点はダウンタウンから遠く離れた北西部にあるが、それでも標高は約38mにとどまる[25][26]。
概要
歴史サミュエル・ヒューストン
地理
地形バッファロー・バイユー