ヒューストン・ロケッツ
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ヒューストン・ロケッツ
Houston Rockets
2021-22シーズンのヒューストン・ロケッツ

呼称/略称  HOU 
チームロゴ下部にリングがある効果線で上昇しているようなゴシック調のR。
所属リーグ'"`UNIQ--templatestyles-00000001-QINU`"' NBA 
カンファレンス ウェスタン・カンファレンス 
ディビジョン サウスウェスト 
創設1967年
チーム史サンディエゴ・ロケッツ
1967-1970
ヒューストン・ロケッツ
1970 - 現在
本拠.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}
テキサス州ヒューストン
アリーナトヨタセンター
収容人数18,043人 開設2003年
チームカラー赤, 黒, 灰色, 無煙炭, 白[1][2]
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主なスポンサークレジット・カルマ[3]
オーナーティルマン・ファティータ
社長グレッチェン・シェアー[4]
GMラファエル・ストーン(英語版)
ヘッドコーチイーメイ・ウドカ
優勝歴2回 (1994年, 1995年)
ファイナル進出4回 (1981年, 1986年, 1994年, 1995年)
ディビジョン優勝7回 (1977年, 1986年, 1993年, 1994年, 2015年, 2018年, 2020年)
永久欠番 11   22   23   24   34   45 
NBAGL提携チームリオグランデバレー・バイパーズ
公式サイトwww.nba.com/rockets

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ヒューストン・ロケッツ(: Houston Rockets)は、アメリカ合衆国テキサス州ヒューストンに本拠を置く全米プロバスケットボール協会(NBA)のチーム。ウェスタン・カンファレンス、サウスウェスト・ディビジョン所属。チーム名の"Rockets"は本来サンディエゴに本拠地があった当時、当市では軍需産業が盛んなことからロケット弾を表しているが、後にヒューストンに移転してからはNASAのイメージから、平和的なロケットがイメージされるようになった。
歴史トヨタセンター
サンディエゴ・ロケッツ

ロケッツは、
1967年カリフォルニア州サンディエゴで設立されたサンディエゴ・ロケッツとしてNBAに加わった。初年度のロケッツはドラフトでパット・ライリーを指名。2年目には初期のロケッツで中核となるエルビン・ヘイズをドラフト全体1位で獲得した。ヘイズは新人で得点王になるなど活躍したが、創設後数年間のロケッツはリーグでも最下位になるなど苦しいシーズンが続いた。

ロケッツは1970年のドラフト1巡目でルディ・トムジャノビッチ、2巡目でカルビン・マーフィーを獲得。二人はその後のロケッツを支える選手になったが、チームの勝率は5割前後を行き来し、リーグ中堅程度の時代が続いた。

ヒューストン・ロケッツ初期

1971年にチームはテキサス州ヒューストンの実業家に買い取られて同地に移転し、ヒューストン・ロケッツと改称した。ヒューストンには宇宙基地があり、ロケッツという名称はこの都市にふさわしいものとして変更はされなかった。

1972年にヘイズはトレードでチームを去り、1976年にはモーゼス・マローンをトレードで獲得。その後のチームの中心選手として活躍した。1978年のシーズン前半、ロサンゼルス・レイカーズとの試合中に乱闘事件が勃発。レイカーズのカーミット・ワシントンとロケッツのケビン・カナートの喧嘩を仲裁しようとしたルディ・トムジャノビッチの顔面にワシントンの拳が入り、トムジャノビッチは顔を複雑骨折する重傷を負った。トムジャノビッチは翌シーズンまで復帰できなかった。

1981年は、40勝42敗と平凡な成績に終わったが、マローンなどの活躍もあってプレーオフで奮闘。チーム史上初めてNBAファイナルまで勝ち進んだが、4勝2敗でボストン・セルティックスに敗れた。トムジャノビッチはこのシーズンを最後に引退、マローンも翌シーズンにトレードされ、さらに翌1983年、カルビン・マーフィーも引退した。

オラジュワンの時代

同じ83年のドラフトで、ロケッツは身長224cmの
ラルフ・サンプソンをドラフト1位で獲得。翌年も1位指名権を得たロケッツはアキーム・オラジュワンを指名。二人は「ツインタワー」としてチームを牽引した。51勝31敗とディビジョン1位でシーズンを終えたロケッツは、プレイオフで番狂わせを演じ、ロサンゼルス・レイカーズを破ってNBAファイナルに進出。しかしボストン・セルティックスに2勝4敗でまたも敗退した。

その後サンプソンは怪我に苦しみ、1988年にトレードされた。オラジュワンは次第にリーグを代表するセンターに成長していったがチームは勝てず、ロケッツは凡庸なチームとして80年代を過ごした。

1992年のシーズン中に、かつてロケッツで選手として活躍したルディ・トムジャノビッチが監督に就任。翌年にはドラフトでサム・キャセールを獲得し、オラジュワンはリーグで最も支配的なセンターになっていた。1994年にはリーグ2位の58勝24敗の成績でプレイオフに臨んだロケッツはNBAファイナルまで勝ち進み、ニューヨーク・ニックスと対戦。最終の第7戦までもつれたシリーズをロケッツが勝利し、チーム史上初めての優勝を手にした。

翌シーズンはシーズン途中にクライド・ドレクスラーをトレードで獲得したものの47勝35敗と勝率が落ち込みウェスタン・カンファレンス6位に終わったが、プレイオフに入ると1stラウンドでユタ・ジャズを相手に1勝2敗、カンファレンス準決勝でもフェニックス・サンズを相手に1勝3敗と、それぞれシリーズ王手をかけられた状況から大逆転勝利を収め、チャンピオンチームの底力を発揮し再びファイナルに進出した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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