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やノートページでの議論にご協力ください。ヒメノ朝 (ヒメノちょう、西: Dinastia Jimena)は、中世イベリアのバスク人王朝。パンプローナ王国(ナバラ王国)の有力貴族で、バスク人の英雄イニゴ・アリスタの親族(諸説あり)ヒメノ1世により創始されたヒメノ家を起源とする。10世紀始めよりナバラの王朝となった。さらに、11世紀半ばには婚姻による継承と領土分割により、カスティーリャ・レオンおよびアラゴンの王朝にもなった。 イニゴ・アリスタ家に男子が絶えると、当時のヒメノ家当主サンチョ・ガルセス1世がアリスタの曾孫である女王トダを娶り、ヒメノ朝を創始した。サンチョ・ガルセス3世の治世では妻と母の領地を継承してカスティーリャ伯とアラゴン地方の支配者を兼ね、更に息子たちの婚姻外交や外征でカタルーニャ、レオン王国をも支配下に収めた。更に縁の深いガスコーニュの一部も獲得し、イベリアのキリスト教諸国を統一したサンチョ3世は「大王」「ヒスパニア皇帝
歴史11世紀時点でのヒメノ朝の領域。赤色がナバラ本領で、オレンジ色が本家の領地、桃色が分家の領地を指す。サンチョ3世時代
中世における隆盛
サンチョ3世の帝国は死後に息子たちの領土分割で潰えたが、それが北イベリア諸国にヒメノ家が拡散する結果を生んだ。息子たちはレコンキスタの前半を主導してタイファ諸国と激しい戦いを繰り広げつつ、父祖の所領を統一しようとたびたび争った。また有力な者は再び「ヒスパニア皇帝」を自称した。 12世紀から13世紀の間に、ヒメノ家は各系統とも男子が絶え、歴史から姿を消し始める。しかしあくまで西欧的な王朝交代であり、後の諸王もイニゴ・アリスタやヒメノ1世、サンチョ3世の血を引いている。イベリアのキリスト教諸国が勢威を取り戻した時代に、ほぼ全ての有力国の王家に血を広めたヒメノ家は、決して少なくない影響をイベリア史に残している。 ナバラ王国のヒメノ朝もサンチョ7世で断絶しているが、ヒメノ家の血を引くシャンパーニュ伯ティボー4世がテオバルド1世として王位を継承した。以後、ナバラ王位はその血を引くフランスの貴族(カペー朝末期のフランス国王を含む)によって継承され、その末裔であるアンリ4世に始まるブルボン朝の歴代フランス王は、いずれも「フランスとナバラの王」を称した。 ナバラ王国は一方で、フランスへの統合以前にその大部分がアラゴン王フェルナンド2世に征服され、後のスペイン王国へ統合されているが、フェルナンド2世もその妻であるカスティーリャ女王イサベル1世も、カスティーリャ女王ウラカの血を引く(女系では他の系統の血も引く)トラスタマラ家の国王・女王である。その血はカルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)からスペイン・ハプスブルク家へと受け継がれた。 ボルボン朝の初代国王フェリペ5世はブルボン・ハプスブルク両王統の血を引いており、その末裔である現スペイン国王フェリペ6世もまた、ヒメノ1世の末裔としてバスク人の血統を継いでいることになる。
衰退とその名残
ヒメノ朝の君主
パンプローナ副王
ヒメノ1世(9世紀頃) 初代パンプローナ王イニゴ・アリスタの分家筋とされる。
ガルシア・ヒメネス(9世紀頃)
ナバラ王
サンチョ・ガルセス1世(905年 - 925年) イニゴ家の末裔トダと結婚
ヒメノ・ガルセス(925年 - 931年)
ガルシア・サンチェス1世(931年 - 970年)
サンチョ・ガルセス2世(970年 - 994年)
ガルシア・サンチェス2世(994年 - 1004年)
サンチョ・ガルセス3世(1004年 - 1035年) 大王・ヒスパニア皇帝
ガルシア・サンチェス3世(1035年 - 1054年)
サンチョ・ガルセス4世(1054年 - 1076年)
サンチョ5世ラミレス(1076年 - 1094年) アラゴン王サンチョ1世
ペドロ1世(1094年 - 1104年) アラゴン王ペドロ1世
アルフォンソ1世(1104年 - 1134年) アラゴン王アルフォンソ1世
ガルシア・ラミレス(1134年 - 1150年)
サンチョ6世(1150年 - 1194年)
サンチョ7世(1194年 - 1234年)
アラゴン王
ラミロ1世(1035年 - 1069年)
サンチョ・ラミレス(1069年 - 1094年)
ペドロ1世(1094年 - 1104年)
アルフォンソ1世(1104年 - 1134年)
ラミロ2世(1134年 - 1137年)
ペトロニラ(1137年 - 1164年)
カスティーリャ王、レオン王