ヒプノシス
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この項目では、イギリスのデザイン・グループについて説明しています。その他の用法については「ヒプノシス (曖昧さ回避)」をご覧ください。

ヒプノシス(Hipgnosis、1968年 - 1983年)は、イギリスのデザイン・アートグループ。メンバーはストーム・トーガソンオーブリー・パウエルピーター・クリストファーソン

1970年代を中心に「ピンク・フロイド」「ジェネシス」「レッド・ツェッペリン」ら数々のアーティストのカバーアートを創作[注 1]。音楽界において、アルバム・ジャケットに芸術性を持たせた草分け的存在であった[1]
略歴

1968年ストーム・トーガソンオーブリー・パウエルがデザイン・チーム「ヒプノシス」を結成し、ロンドンを拠点に活動を始める。当初は出版物のデザインなどが中心だったが、友人であったピンク・フロイドのメンバー、ロジャー・ウォーターズから2ndアルバム『神秘』のカバーデザインを依頼されたのを契機に、音楽アルバムのアートワークを主体とするようになった。1974年には、ピーター・クリストファーソンが加わり3人体制となっている。

1970年代に活動の最盛期を迎えるが、1980年代からミュージック・ビデオなどの映像分野が顕著になり、それに対応した映像会社「グリーンバック・フィルムズ」を設立するため、1983年にチームは解散する。しかし後発の起業だったのも影響して軌道に乗れず、会社は倒産した。
解散後の動向

ストーム・トーガソン
その後もヒプノシスのアートワークを受け継いだ。アートスタジオ「StormStudios」を設立し、ピンク・フロイドやドリーム・シアターなどをはじめ、多くのアーティストのカバーアートを手掛けた。2013年死去[2]

オーブリー・パウエル
アートディレクターも務めながら、主に映像関係の方面で活動した。トーガソン亡き後ピンク・フロイドの仕事を引き継ぎ、ラストアルバム『永遠/TOWA』のアートディレクターを担当した[3]

ピーター・クリストファーソン
自身の音楽活動と並行して主にビデオ・ディレクターを務め、イエスヴァン・ヘイレンなどのミュージック・ビデオをプロデュースしている。インダストリアルバンドであるスロッビング・グリッスルサイキックTVCOILの主要メンバーとして、長年にわたり活動した。2010年死去[4]

ストーム・トーガソン(2010年)

オーブリー・パウエル(2014年2月)

ピーター・クリストファーソン(2007年)

特徴・作風

レコード・ジャケットを芸術作品としての表現の域にまで高めた先駆者。ただし、活動初期の頃はレコード会社側との軋轢もあったようで、1970年の『原子心母』の「牛」のジャケットを提示した際には難色を示された。特にアルバム・タイトルもアーティスト名も表記されていないことに反対の声が挙がったが、結果的に全英1位を記録したことで「その後の仕事がやりやすくなった」という。

イマジネーションに溢れた創造的な作風が特徴で、現実なのか非現実なのか解らないようなジャケットも多い。「見る者に考えさせる」ということも、ひとつのコンセプトであるという。また、矛盾や対比といった「二面性」も主要なテーマになっている。収録された音楽を聴かずにデザインをすることもあるという[1]
ヒプノシスの代表作品
カバーアート一覧

年アーティストアルバム
1968
ピンク・フロイド神秘 - A Saucerful of Secrets
アレクシス・コーナーア・ニュー・ジェネレーション・オブ・ブルース - A New Generation of Blues
ゴッズジェネシス - Genesis
ペペ・ハラミジョ And His Latin-American RhythmTill There Was You
エインズレー・ダンバー・リタリエイションエインズレー・ダンバー・リタリエイション - The Aynsley Dunbar Retaliation
ラヴ・スカルプチャーブルース・ヘルピング - Blues Helping


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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