ヒット'76?'79
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この項目では、1976年 - 1979年放送の番組について説明しています。

1970年放送の番組については「ヒット'70」をご覧ください。

1975年放送の番組については「ヒット'75」をご覧ください。

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ヒット'76?'79
ジャンル恋愛バラエティ番組歌謡番組
ディレクター吉岡正敏
製作
制作中村公一
製作日本テレビ

放送
放送国・地域 日本

ヒット'76?'79 ショッキング!ドッキング!
プロデューサー向笠正夫
司会者海原千里・万里
レツゴー三匹
春やすこ・けいこ
出演者一般女性1名(または女性ゲスト歌手)
一般男性12名
ゲスト歌手4組(または3組)
ナレーター松永二三男
放送期間1976年4月3日 - 1979年3月31日
放送時間土曜 18:00 - 18:30
放送分30分
回数154回

恋はショッキング!
司会者山田邦子
ツーツーレロレロ
出演者一般女性1名(または女性ゲスト歌手)
一般男性10名
ゲスト歌手2組
放送期間1983年12月18日 - 1984年3月25日
放送時間日曜 12:00 - 12:30
放送分30分
回数12回
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『ヒット'76?'79』(ヒットななじゅうろく?ななじゅうきゅう)は、1976年4月3日から1979年3月31日まで日本テレビ系列局で放送されていた日本テレビ製作の恋愛バラエティ番組歌謡番組である。日本テレビ音楽祭の協賛番組。全154回。放送時間は毎週土曜日18:00 - 18:30(JST)。

正式名称は『ヒット'XX ショッキング!ドッキング!』で、XXには放送年(西暦)の下2桁が入った。
概要

毎回12人の一般男性が、「今週のプリンセス」と呼ばれる1人の一般女性もしくは女性ゲスト歌手を目指して[要説明]さまざまな質問に答え、気に入らない答え[誰にとって?]を出した男性を次々と篩い落とし[誰が?]、最後に残った1人の男性に女性とのデート権を与え[誰が?]、後半ではデートの結果で女性とのカップルを成立か否かを決める公開番組。このほかに毎回4組(稀に3組)のゲスト歌手を招き、彼らに持ち歌を披露してもらっていた。特に日本テレビ音楽祭にノミネートあるいは受賞した歌手には優先的に歌ってもらっていた。

「男性の椅子が滑り台に変型して男性が落とされる」という、それまでの恋愛バラエティ番組には無かった斬新奇抜な演出が@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}若者に受け[要出典]、番組は3年にわたって放送された。しかし、土曜20:00枠で放送されていた『全日本プロレス中継』が1979年4月の改編で土曜18:00枠へ移動することになり、直前の時間帯に放送されていた『時間だヨ!アイドル登場』とともに同年3月31日放送分をもって終了した。なお、『時間だヨ!アイドル登場』も本番組もPT番組であり、共にスポンサー無しの状態で放送されていた。

番組終了から4年9か月後の1983年12月18日、番組は『恋はショッキング!』というタイトルで復活を果たした。こちらは毎週日曜12時00分 - 12時30分の放送で、司会に山田邦子、インタビュアーにツーツーレロレロ大森うたえもんそのまんま東)を迎えて行われていたが、それから3か月後の1984年3月25日に終了した。全12回。
出演者
司会

番組開始からしばらくは海原千里・万里が司会を務めていたが、結婚および引退(海原千里は後に上沼恵美子名義で復帰)のために1977年3月で降板。同年4月からはレツゴー三匹[1]が、そして1978年4月から最終回までは春やすこ・けいこが担当した。

3組とも本業は漫才師であるため、1回目のCM明けにはミニ漫才をしていた(やすこ・けいこは1978年9月まで)。
インタビュアー

上記の司会者とは別に、出場男性にマイクを向ける係がいた。

おりも政夫(当時フォーリーブス、1976年4月 - 9月)

福留功男(当時日本テレビアナウンサー、1976年4月 - 9月)

池田まさる(1976年10月 - 1977年3月)

くず哲也(1976年10月 - 1977年3月)

浮世亭ジョージ・ケンジ(やすこ・けいこ時代) - インタビュアーになって約2か月でコンビを解消。浮世亭ジョージは新たに大平シローと「ジョージ・シロー」を結成し、以後はジョージ・シローがインタビュアーを務めていた。

上記のうち、おりも・福留・池田・くずは千里・万里とは別行動を取っていたため、司会とアシスタントの中間的存在であったが、ジョージ・ケンジ(→ジョージ・シロー)はやすこ・けいこと同行することが多く、司会に近い存在であった[独自研究?]。

なお、レツゴー時代には専任のインタビュアーはおらず、司会のじゅんと長作がインタビュアーを兼任していた(正児は進行を担当)。
アシスタント

番組開始からしばらくはJOHNNYS' ジュニア・スペシャル (JJS) とザ・バーズがアシスタントを務めていたが、1976年10月にJJSに代わってアパッチが加入し、以後最終回までアパッチとザ・バーズが担当した。JJSとアパッチは、出演歌手が3組の時に自分の持ち歌を披露することがあった。
クロージング[要検証ノート]ナレーター

一貫して松永二三男(当時日本テレビアナウンサー)が担当した。松永は、後述の「今週のヒット3」と不定期に行われる「『日本テレビ音楽祭』情報コーナー」の司会も兼任していた。
コーラス

ミンクス

演奏

岡本章生とゲイスターズ

変遷

期間司会インタビュアーアシスタントナレーター
『ヒット'76?'79』時代
1976.41976.9海原千里・万里おりも政夫福留功男JJSザ・バーズ松永二三男
1976.101977.3池田まさるくず哲也アパッチ


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