ヒッチョウカ
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

西アフリカでは、"cubeb" は類似種である Piper guineense を指すことが多い。

ヒッチョウカ

分類

:植物界 Plantae
階級なし:被子植物 Angiosperms
階級なし:モクレン類 Magnoliids
:コショウ目 Piperales
:コショウ科 Piperaceae
:コショウ属 Piper
:ヒッチョウカ P. cubeba

学名
Piper cubeba L.f.1782[1]
和名
ヒッチョウカ (篳澄茄)[2]、クベバ[3]
ジャワ長胡椒[3]
英名
cubeb[4], cubeb pepper[4], Java pepper[4], tailed pepper

ヒッチョウカ[5](畢澄茄、学名: Piper cubeba)またはクベバ[6][7]は、コショウ属植物の1種である。またその乾燥果実の生薬名。その果実精油のために栽培される。主にジャワ島スマトラ島で育てられ、そのためにジャワ長胡椒と呼ばれることがある。果実は成熟前に摘み取られ、注意深く乾燥される。商品のヒッチョウカは乾燥したベリーから成る。見た目はコショウと似ているが、柄が付いており、英名の "tailed pepper" の由来となっている。乾燥した果皮はしわが寄り、その色は灰色がかった茶色から黒まで多岐にわたる。種子は硬く、白色で油分が多い。ヒッチョウカの香りは心地よく、香りが良いとされ、味は刺激的な辛さで、鼻を突き、わずかに苦く、持続性がある。オールスパイスあるいはオールスパイスとコショウを足して2で割ったような味とされている[8]

ヒチョウカはアラブとの交易によりインドを介してヨーロッパへ伝わった。「Cubeb」という名称はアラビア語のkab?ba (?????‎)[9]由来であり、古フランス語のquibibesを経由している[10]。ヒッチョウカはそのアラビア語名で錬金術の書籍で言及されている。ジョン・パーキンソンは著書『植物の世界(Theatrum Botanicum)』において、1640年頃にポルトガル王がクロコショウ(Piper nigrum)を奨励するためにヒッチョウカの販売を禁止した、と述べている。医学的使用のために19世紀のヨーロッパでしばらく復活したが、以後のヨーロッパの市場からは実質的に消えている。西洋ではジンおよび紙巻きたばこのための香料として、インドネシアでは食品の香辛料として使われ続けている。
歴史Piper cubeba。『ケーラーの薬用植物』(1887年)から。

紀元前4世紀、テオプラストスはkomakonに言及し、シナモンカシアと共に芳香菓子の原料に含めた。ギヨーム・ビュデとクラディウス・サルマシウス(英語版)はkomakonをcubebと同一視した。これはおそらくcubebのジャワ語名kumukusとの類似性からである。これは、テオプラストスの時代よりも前の時代のジャワとギリシャの貿易の奇妙な証拠として見られている[11]。ジャワ人の栽培者らは、実を熱湯処理して殺菌することでこのつる植物を他の場所では栽培できないようにして、交易の独占を守っていたため、ギリシア人が他の場所から入手したとは考えにくい[9]

時代に、ヒッチョウカはシュリーヴィジャヤ王国から中国へもたらされた。インドでは、kabab chini、すなわち「中国のcubeb」と呼ばれるようになった。これはおそらく中国人がその交易に一枚かんでいたためであるが、中国との交易において重要な物品であったためである可能性がよりありえそうである。中国では、同じ語源のサンスクリット語のvilengaやvidangaと呼ばれた[12]。『海薬本草』の作者である李cはクロコショウと同じ木に生ると考えた。唐の医者は、食欲増進、?邪、髪色を濃くする、身体を芳香で満たすためにヒッチョウカを処方した。しかしながら、ヒッチョウカが中国で調味料として使われたことを示す証拠は存在しない[12]

9世紀に編纂された『千夜一夜物語』は、不妊のための治療薬としてヒッチョウカに言及している。これはアラブでは既に医療目的のために使われていたことが示している。ヒッチョウカは10世紀頃にアラブ料理(英語版)に取り入れられた[13]。13世紀末に書かれた『東方見聞録』はヒッチョウカや他の価値のある香辛料の生産地とジャワを説明している[11]。14世紀、ヒッチョウカはルーアンリッペの商人によってコショウの名前で穀物海岸からヨーロッパへと輸入された[8]。フランシスコ修道会の作家フランセスク・アシメニス(英語版)による暴食の実例を挙げた道徳物語は、世俗的な聖職者の食生活を描いたもので、入浴後に卵の黄身にシナモンとヒッチョウカを加えた奇妙な調合物をおそらく媚薬として摂取している[14]

ヒッチョウカは、中国の人々によってそうであったように、ヨーロッパの人々によって悪魔を退けると考えられていた。17世紀末にエクソシスムの方法について書いたカトリック司祭ルドヴィコ・マリア・シニストラリは、インキュバス(夢魔)を追い払うための香の材料にヒッチョウカを含めた[15]。今日でも、シニストラリによる香の調合法はネオペイガニズム作家らによって引用され、これらの作家の一部はヒッチョウカを恋の小袋や呪文で使うことができると主張している。

販売が禁止された後、ヒッチョウカの料理での使用はヨーロッパで劇的に減少し、医学的な応用のみが19世紀まで続いた。20世紀初頭、ヒッチョウカはインドネシアからヨーロッパとアメリカ合衆国へ定期的に出荷されていた。交易は次第に年間 135 t (133ロングトン; 149ショートトン) まで減少し、1940年より後に実質的な意味において終わった[16]
化学成分α-クベベンの化学構造

乾燥したヒッチョウカの果実は、モノテルペン類(サビネン 50%、α-ツジェン、およびカレン)、セスキテルペン類(カリオフィレンコパエン、α- およびβ-クベベン(英語版)、δ-カジネンゲルマクレン)、1,4- および1,8-シネオール、ならびにクベボール(英語版)から構成される精油を含む。

揮発性油のおよそ15%は水と一緒にヒッチョウカを蒸留することによって得られる。液体成分のクベベンは化学式C15H24を持ち[8]、α-クベベンとβ-クベベンがある。これらはアルケン部分の位置のみが異なっており、二重結合が環内(5員環部分)にあるのがα-クベベン、環外にあるのがβ-クベベンである。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:57 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef