ヒスパニア・バエティカ
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ヒスパニア・バエティカ(西暦125年

ヒスパニア・バエティカ(ラテン語: Hispania Baetica、ヒスパーニア・バエティカ)は、イベリア半島にあったローマ帝国属州のひとつ。ヒスパニア・タッラコネンシスを東に接し、ルシタニアを西に接する。現在のスペインアンダルシア地方に相当する地域。元老院属州のひとつで、元老院の任命のもとでプロコンスルが統治した。
ローマ以前

ローマが侵出する前、この地域はケルト系の部族がいくつか居住する地域で、南方の地中海の小島および沿岸部ではフェニキア人が活動を行っていた。また、この地域はワインオリーブ、そしてローマでは「ガルム」と呼ばれた魚醤の産地で、古くから地中海世界では非常に重要な地域でもあった。

第一次ポエニ戦争後、ハミルカル・バルカカルタゴを後にしてカルタゴ・ノウァ(現:カルタヘナ)を建設。この頃よりローマもギリシア人の植民市などと同盟を結ぶなどその影響力を伸ばしつつあり、カルタゴとの関係が緊張する。紀元前226年にはエブロ川を境に相互不可侵条約を結ぶが、紀元前218年ハンニバルがサグントゥム(現:サグント)を攻撃、第二次ポエニ戦争が始まった。そしてハンニバルは軍を率いてアルプス山脈を越えてイタリア半島へ侵攻、この地域の統治は弟ハスドルバルに任された。

ハンニバルがイタリア半島内で戦っている頃、この地域は逆にローマ軍の攻勢を受けて劣勢になり、紀元前209年スキピオ・アフリカヌスによってカルタゴ・ノウァは陥落。紀元前207年にハスドルバルはメタウルスの戦いで戦死した。
ローマの属州として

第二次ポエニ戦争後、ローマをこの地域を属州とした。当初はイベリア半島の属州は南方「ヒスパニア・キテリオル」と北方「ヒスパニア・ウルステリオル」という名で分割されていた。そして紀元前14年アウグストゥスのローマ領再編で、イベリア半島の属州は3分割されて現在の「ヒスパニア・バエティカ」となった。なお、州都はコルドバに置かれた。

帝政時代にはこの属州はローマの中でも裕福な属州のひとつとなり、裕福な中流階層を生み出し、彼等のもとで解放奴隷などが活躍する土地となった。またこの土地は安全で軍隊の駐留はなく、ローマ軍は東隣のタッラコネンシスに駐在するのが普通だった。また経済力の隆盛を背景に皇帝ウェスパシアヌスの治世には彼等の支持基盤を築こうと「投票権なしのローマ市民権」をこの地域の自由民全員に与えている。そして、初の属州出身皇帝トラヤヌス、続いて甥のハドリアヌスがこの地から登場する。しかしながら、409年になるとヴァンダル族に蹂躙され、ローマの属州ではなくなる。これ以降、東ローマによる再支配(スパニア属州、552年頃 - 620年代)の期間を除くと、ゲルマン人の支配者を仰ぐこととなる。
西ローマ滅亡後

ヴァンダル族の支配は短かったが、代わりに西方から西ゴート族が侵入、彼等の領土の一部となる。最盛期にはイベリア半島がほぼ西ゴート王国の領土であった(550年代から620年代までの約70年間は東ローマ帝国に支配されたことがある)。しかし南方からイスラムウマイヤ朝が侵入、711年に西ゴート王国は滅ぼされた。










前期ローマ帝国の属州(3世紀以前)
本土

イタリア

元老院属州

アカエア

アシア

アフリカ

ガリア・ナルボネンシス

キュプルス

クレタ・キュレナイカ(英語版)

シキリア

ヒスパニア・バエティカ

ビテュニア

ポントゥス(英語版)

ヌミディア

マケドニア

皇帝属州

アラビア・ペトラエア

アルペスコッティアエポエニナエマリティマエ

カッパドキア(英語版)

ガラティア(英語版)

ガリアアクィタニアベルギカルグドゥネンシス

キリキア

ゲルマニアスペリオルインフェリオル

コルシカ・サルディニア(英語版)

シリア

ダキア

ダルマティア

トラキア

ノリクム

パンノニア(スペリオル(英語版)・インフェリオル(英語版))

ヒスパニア・タッラコネンシス

ブリタンニア

マウレタニアカエサリエンシスティンギタナ

モエシア

ユダヤ

ラエティア

リュキア・パンピュリア(英語版)

ルシタニア

皇帝私領

アエギュプトゥス

東方属州(115年 - 117年)

アッシュリア

アルメニア

メソポタミア

117年以前に存在した属州

ガリア・キサルピナ

イッリュリクム

コンマゲネ

ヒスパニア・キテリオル

ヒスパニア・ウルテリオル

上記は、ローマ帝国の領土が最大となった117年の属州。「東方属州」はトラヤヌス帝期にのみ存在した属州。










後期ローマ帝国の属州(4 - 7世紀)
歴史的背景

293年、ディオクレティアヌスによって属州の統治体制が再編され、新たに管区が制定された。は337年のコンスタンティヌス1世の死後、確立された。


帝国西方(395年 - 476年)

ガリア道(英語版)

ガリア管区(英語版)

アルペス・ポエニナエ

第1ベルギカ

第2ベルギカ

第1ゲルマニア

第2ゲルマニア

第1ルグドゥネンシス

第2ルグドゥネンシス

第3ルグドゥネンシス

第4ルグドゥネンシス

マクシマ・セクァノルム(英語版)

ウィエンヌ管区(英語版)

アルペス・マリティマエ

第1アクィタニア

第2アクィタニア

第1ナルボネンシス

第2ナルボネンシス

ノウェンポプラニア(英語版)

ウィエンネンシス(英語版)

ヒスパニア管区(英語版)

バエティカ

バレアリカ(英語版)

カルタギネンシス(英語版)

ガラエキア(英語版)

ルシタニア

マウレタニア・ティンギタナ

タラコネンシス

ブリタンニア管区

第1ブリタンニア(英語版)

第2ブリタンニア(英語版)

フラウィア・カエサリエンシス(英語版)

マクシマ・カエサリエンシス(英語版)

ウァレンティア(英語版)369


イタリア道(英語版)

イタリア郊外区

アプリアおよびカラブリア(英語版)

ブルティアおよびルカニア(スペイン語版)

カンパニア

コルシカ

ピケヌム・スブリビカリウム

サムニウム

サルディニア

シキリア

トゥスキアおよびウンブリア(イタリア語版)

ウァレリア(スペイン語版)

イタリア穀物区

アルペス・コッティアエ

フラミニアおよびピケヌム・アンノナリウム(英語版)

リグリア(英語版)およびアエミリア(英語版)

第1ラエティア(英語版)

第2ラエティア(英語版)

ウェネティアおよびイストリア(英語版)

アフリカ管区(英語版)

アフリカ・プロコンスラリス(ゼウギタナ)

ビュザケナ(英語版)

マウレタニア・カエサリエンシス

マウレタニア・シティフェンシス

ヌミディア・キルテンシス

ヌミディア・ミリティアナ

トリポリタニア

パンノニア管区(英語版)

ダルマティア

ノリクム・メディテラネウム

ノリクム・リペンセ

第1パンノニア

第2パンノニア

サウィア(英語版)

ウァレリア・リペンシス(英語版)




帝国東方(395年 - 640年頃)

イリュリクム道(英語版)

ダキア管区(英語版)

ダキア・メディテラネア(英語版)

ダキア・リペンシス(英語版)

ダルダニア

第1モエシア

プラエウァリタナ(英語版)

マケドニア管区(英語版)

アカエア

クレタ

新エピルス

旧エピルス

第1マケドニア

第2マケドニア・サルタリス


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