ヒストン脱アセチル化酵素阻害剤
[Wikipedia|▼Menu]

ヒストン脱アセチル化酵素阻害剤(ヒストンだつアセチルかこうそそがいざい、: histone deacetylase inhibitor、HDAC阻害剤、HDI)は、ヒストン脱アセチル化酵素を阻害する薬剤・化合物である。

HDAC阻害剤は精神医学神経学の分野において、気分安定薬抗てんかん薬としての長い歴史を持つ。近年では、がん[1][2]寄生虫感染[3]炎症性疾患[4]に対する治療薬としての可能性の研究も行われている。
生化学と薬理

真核細胞で遺伝子発現を行うためには、ヒストンに対するDNAの巻き付き方を制御する必要がある。この過程はヒストンアセチルトランスフェラーゼ(HAT)の助けを借りて行われる。この酵素はコアヒストンのリジン残基をアセチル化することで、パッキングが緩く、転写活性の高いユークロマチンの形成をもたらす。反対に、ヒストンデアセチラーゼ(HDAC)はアセチル化リジン残基からアセチル基を除去し、より凝縮した転写不活性なクロマチンの形成をもたらす。こうしたコアヒストンのテール部分の可逆的修飾は、クロマチンの高次構造を再構成し、遺伝子発現を制御するための主要なエピジェネティック機構となっている。HDAC阻害剤(HDI)はHDACの作用を遮断してヒストンの高アセチル化をもたらし、遺伝子発現に影響を及ぼす[5][6][7]。HDACの阻害による開いたクロマチン構造の形成は、遺伝子発現の活性化または抑制のいずれかを引き起こす[7]

HDAC阻害剤は、培養腫瘍細胞やin vivoにおいて、細胞周期の停止、分化、またはアポトーシスを誘導することで増殖を阻害する、cytostatic agentである。HDAC阻害剤は、ヒストンのほか、転写因子などの非ヒストンタンパク質に対してもアセチル化/脱アセチル化を調節することでがん遺伝子もしくはがん抑制遺伝子の発現の変化を誘導し、抗腫瘍効果を発揮する[8]。ヒストンのアセチル化と脱アセチル化はクロマチンのトポロジーや遺伝子転写の調節に重要な役割を果たしている。HDACの阻害はクロマチンの大部分の領域で高アセチル化ヌクレオソームの蓄積をもたらすが、発現に影響が生じるのは一部の遺伝子のみであり、一部の遺伝子は転写が活性化されるのに対し、それと同数もしくはそれ以上の数の遺伝子で抑制が生じる。転写因子などの非ヒストンタンパク質もアセチル化の標的となっており、さまざまな機能的影響を及ぼしている。アセチル化は、p53やGATA1(英語版)など一部の転写因子の活性を高めるが、ACTRなど他の転写因子の活性を抑制している可能性がある。HDACの阻害に応答してエストロゲン受容体α(ERα)も高アセチル化状態となり、リガンド感受性の抑制や転写活性化の調節が行われていることが示されている[9]。ERαのアセチル化モチーフが他の核内受容体でも保存されていることは、多様な核内受容体のシグナル伝達機能を調節する重要な役割をアセチル化が果たしている可能性を示唆している。構造的に多様なHDAC阻害剤が、in vivoや動物モデルにおいて、毒性をほとんど示すことなく強力な抗腫瘍効果を及ぼすことが示されている。いくつかの化合物は固形腫瘍や血液のがんの治療法として、単剤療法としてまたは他の細胞傷害性薬剤や分化誘導薬との併用療法として、臨床開発が行われている[10]
HDACの分類

これまでにヒトでは18種類のHDACが知られており、酵母のHDACの付属的ドメインとの相同性に基づいて4つのグループに分類されている[11]

クラスI: HDAC1(英語版)、HDAC2(英語版)、HDAC3(英語版)、HDAC8(英語版)。酵母RDP3との関連性。

クラスI: 酵母HDA1との関連性

クラスIIA: HDAC4(英語版)、HDAC5(英語版)、HDAC7(英語版)、HDAC9(英語版)

クラスIIB: HDAC6、HDAC10(英語版)


クラスIII: サーチュインと呼ばれるもの(SIRT1からSIRT7)。酵母SIR2との関連性。

クラスIV: HDAC11(英語版)のみ。クラスIとIIの特徴を併せ持つ。

HDAC阻害剤の分類

「古典的」(classical)なHDAC阻害剤はクラスI、II、IVのみに作用し、HDACの亜鉛含有触媒部位に結合する。こうした古典的HDAC阻害剤は、亜鉛イオンに結合する部分などに基づいていくつかのグループに分類される[12]
ヒドロキサム酸系(トリコスタチンAなど)

環状ペプチド(トラポキシンB(trapoxin B)など)・デプシペプチド

ベンズアミド

エポキシケトン

脂肪族化合物(フェニル酪酸(英語版)、バルプロ酸など)

「第二世代」のHDAC阻害剤には、ヒドロキサム酸系のボリノスタット(SAHA)、ベリノスタット(英語版)(PXD101)、LAQ824、パノビノスタット(LBH589)、ベンズアミド系のエンチノスタット(MS-275)、タセジナリン(tacedinaline、CI994)、モセチノスタット(MGCD0103)などがある[13][14]

クラスIIIのHDACであるサーチュインはNAD+に依存しており、ニコチンアミドのほか、NADの誘導体であるジヒドロクマリン(dihydrocoumarin)、ナフトピラノン(naphthopyranone)、2-ヒドロキシナフトアルデヒド(2-hydroxynaphthaldehyde)によって阻害される[15]
その他の機能

HDAC阻害剤はヒストンに対するアセチル化反応のみを阻害するわけではない。広範囲の非ヒストン転写因子や転写コレギュレーターがアセチル化修飾を受けることが知られている。HDAC阻害剤はこうした非ヒストン型のエフェクター分子に対してもアセチル化の程度の変化を引き起こし、遺伝子転写の増加や抑制を引き起こす。影響受けるものとしては、ACTR、c-Myb(英語版)、E2F1(英語版)、EKLF(英語版)、FEN1(英語版)、GATA(英語版)、HNF-4(英語版)、HSP90Ku70、MKP-1(英語版)、NF-κBPCNA、p53、RB、Runx、SF1(英語版)、Sp3(英語版)、STAT、TFIIE(英語版)、TCFYY1などがある[12][16][17]
利用
精神医学と神経学

HDAC阻害剤は精神医学や神経学の分野において、気分安定薬や抗てんかん薬としての長い歴史を持つ。その最たる例はバルプロ酸であり、デパケン(Depakene)、デパコート(Depakote)、ジバルプロエクス(Divalproex)の商標名で販売されている。HDAC阻害剤はアルツハイマー病ハンチントン病などの神経変性疾患の症状緩和のための研究も行われている[18]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:52 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef