この項目では、ビートルズの楽曲について説明しています。その他の用法については「ヒア・カムズ・ザ・サン (曖昧さ回避)」をご覧ください。
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}ビートルズ > 作品リスト > ヒア・カムズ・ザ・サンビートルズ > 曲名リスト > ヒア・カムズ・ザ・サンスティーヴ・ハーレイ&コックニー・レベル > ヒア・カムズ・ザ・サン
「ヒア・カムズ・ザ・サン」
ビートルズの楽曲
収録アルバム『アビイ・ロード』
英語名Here Comes the Sun
リリース
1969年9月26日 (Album)
1970年6月5日 (Japan single)
A面 オー!ダーリン
録音
1969年7月7日 ? 8月19日 (1969-07-07 ? 1969-08-19)
EMIレコーディング・スタジオ
ジャンルポップ・フォーク[1]
時間3分05秒
レーベルアップル・レコード
作詞者ジョージ・ハリスン
作曲者ジョージ・ハリスン
プロデュースジョージ・マーティン
チャート順位
後述を参照
ビートルズ シングル 日本 年表
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レット・イット・ビー
(1970年)
オー!ダーリン b/w ヒア・カムズ・ザ・サン
(1970年)
ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード
(1970年)
『アビイ・ロード』 収録曲
アイ・ウォント・ユー
(A-6)ヒア・カムズ・ザ・サン
(B-1)ビコーズ
(B-2)
ミュージックビデオ
「Here Comes The Sun (2019 Mix)」
「ヒア・カムズ・ザ・サン」(Here Comes the Sun)は、ビートルズの楽曲である。ジョージ・ハリスンが作詞作曲を手がけた。1969年に発売された11作目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『アビイ・ロード』に収録された。ハリスンは、1969年初頭にアップル・レコードの打ち合わせをキャンセルして、友人のエリック・クラプトンの自宅に訪れた際に本作を書いた。歌詞の中では春の到来による安堵などが反映されている。
1969年夏にEMIレコーディング・スタジオでレコーディングが行われた。アコースティック・ギターを主体とした本作では、当時は珍しかったモーグ・シンセサイザーが導入されているほか、インドの伝統音楽の影響がいくつか見られる。
「ヒア・カムズ・ザ・サン」は、音楽評論家から肯定的な評価を得ており、「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」や「サムシング」とともに、ハリスンがレノン=マッカートニーの作品と同等の評価を得た楽曲となっている。楽曲の発表後、リッチー・ヘブンスやスティーヴ・ハーレイ&コックニー・レベルをはじめとした多数のアーティストによってカバー・バージョンが発売された。
2021年時点で、Spotifyにて世界で最もストリーミング再生されたビートルズの楽曲となっている[2]。 1969年4月、アップル・レコードでの打ち合わせに疲れていたハリスンは、打ち合わせをキャンセルしてロンドンにある親友のエリック・クラプトンの家へ遊びにでかけていた[3]。当時についてハリスンは「会議に出てあのまぬけな会計士たちの顔を見なくてすむと思うとホッとした。銀行家や弁護士と契約やら株式やらで、会議のオンパレードだったから。あれは本当に最悪だったから」と振り返っている[3]。 ハリスンは、クラプトンのアコースティック・ギターを借りて庭を歩きまわっている中で、その年初めての春らしい日差しを感じて本作の歌詞とメロディが頭に浮かんだとし[4][3]、6月に歌詞を完成させた[5]。このことについて、ハリスンは「ただ単にこれまで僕の中で高まっていた緊張をほぐしただけ。ギターを弾くのも2週間ぶりで、とにかく忙しかったから。ごく自然に曲が降りてきて、サルデーニャで休暇を取ったときに仕上げた」と語っている[3]。 歌詞はレコーディング時に、ヴァースの順番が入れ替えられており、ハリスンの手書きの歌詞では2番のヴァース「the smiles returning to their faces(みんなの顔に戻っていく微笑み)」が、3番のヴァースとされていた。ミドル・セクションには、下降するリフが含まれており、ジョン・レノンは1969年9月のインタビューで「ジョージはありとあらゆるタイプの曲を書いていて、一度扉が開いたら、もう止めどなくなってしまう」「この曲はただ単にジョージが進歩している証拠だろう。僕はある意味バディ・ホリーを思い出したよ」と語っている[3]。 ハリスンは「恋をするなら」と同様に、ギターの7フレットにカポタストを付け、Dのポジションで演奏している[3]。コーラス部分が終わった後に入るインストゥルメンタルのセクションには、インドの伝統音楽の影響が見られ、スターは「『7拍子半みたいな感じの新曲がある』と言われて、僕はなんとかそれを毎回ちゃんと演奏できるように、あらゆる手を考えた。あれはインド音楽のわざのひとつだ」と語り[3]、ハリスンの息子であるダーニ・ハリスンも「ほとんどティハイのようだ」と評している[3]。 「ヒア・カムズ・ザ・サン」のレコーディングは、1969年7月7日に開始された[6]。
背景・曲の構成
レコーディング