紀元前6世紀頃 - 1345年 →
→
パーンディヤ朝の版図(1250年)
パーンディヤ朝(パーンディヤちょう、Pandya、発音としてはパーンデャ)は、紀元前後から3世紀頃、6世紀末から10世紀初頭、12世紀末から14世紀初頭にインド南端部で繁栄したヒンドゥー系王朝の名称。首都はいずれもマドゥライだとされている。とくに12世紀末から14世紀初頭に繁栄し、チョーラ朝を倒した王朝については以前の王朝と区別して後期パーンディヤ朝と呼称する場合もある。 パーンディヤ朝に関する最古の記録のひとつに紀元前3世紀のマウリヤ朝のアショーカ王による 紀元前273年から 同232年の間に刻まれた 磨崖詔勅の銘文が挙げられる。またMinakshipuramで、ジャイナ教徒に苦行で用いるための石を切り出してつくった寝台の石に紀元前2世紀から1世紀と同定できる銘文が発見され、ネドゥンジェリアンが登場する。同時期のパーンディヤ朝の鋳造貨幣の銘文にもこの王の名を見つけることができる。一方、ヨーロッパ側にもメガステネスによるパンダイヤ伝承(ヘラクレスが娘のパンダイヤにインド南部を支配させ彼女の支配した地域もパンダイヤと呼ばれた。)やプリニウスによる女王国伝承(インドのパンダエ王国は女王のおさめる国であるというもの)が残されている。これは、南インドに現在でも女性を族長とする部族がいるが、そういった情報が歪んだ形でヨーロッパに伝わったためと考えられている。ストラボンは、紀元前22年にローマ帝国にパーンディヤ朝からの使者が来訪したという記録を残している。パーンディヤ朝は、最初コルカイ
歴史
シャンガム時代のパーンディヤ朝と諸外国による記録
紀元後60年から 100年頃に書かれた『エリュトゥラー海案内記』には、パーンディヤ朝に関して豊富な記述をみることができる。