パーソンズ美術大学
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Parsons School of Design過去の名称Chase School
(1896?1898)
New York School of Art
(1898?1909)
New York School of Fine And Applied Art
(1909?1936)
Parsons School of Design
(1936?2005)
学校種別
私立大学
設立年1896年
学長Joel Towers
大学職員数1,066人
学生数4,200人
学部生数3,800人
大学院生数400人
所在地アメリカ合衆国
ニューヨーク州ニューヨーク市
キャンパスマンハッタン区グリニッジ・ヴィレッジ
スクールカラーNew School Yellow, Orange, and Red                  
所属The New School, AICAD, NASAD
ウェブサイト ⇒www.newschool.edu/parsons/

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パーソンズ美術大学の親大学であるニュースクール大学の新しいユニバーシティセンタービル。現在、こちらにファッションデザイン学科が入る。

パーソンズ美術大学(Parsons School of Design)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市にあるアートデザインの私立専門大学である。一般にはパーソンズ(Parsons)、またはパーソンズ・スクール・オブ・デザイン(Parsons School of Design)として知られている。

マンハッタングリニッジ・ヴィレッジに位置する同大学は、マーク・ジェイコブスアレキサンダー・ワンダナ・キャラントム・フォードスティーヴン・マイゼルアナスイポール・ランドナルシソ・ロドリゲスジョエル・シュマッカージャスパー・ジョーンズ、Julie Umerle, ノーマン・ロックウェルなど数多くの著名アーティストやデザイナーを輩出してきた。

パーソンズは世界中で放送されているリアリティ番組のであるプロジェクト・ランウェイの舞台となり多くの注目を浴びる。
目次

1 概要

2 歴史

3 学生生活

4 恒例行事

5 主な学科

6 主な卒業生・関係者

6.1 卒業生


7 関連項目

8 外部リンク

概要

パーソンズ新入生と米国の人種比率新入生米人口
アフリカ系アメリカ人/非ヒスパニック4%12.4%
アジア系アメリカ人/太平洋諸島系18%4.3%
ヨーロッパ系アメリカ人/非ヒスパニック29%74.1%
ヒスパニック系アメリカ人9%14.7%
インディアン/アラスカ人<1%0.8%
留学生32%N/A
合計93%106.3%

1896年創立。1970年ニュースクール大学(The New School)の傘下に入った。

イギリスロンドンセントラル・セント・マーチンズ・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインベルギーアントワープアントウェルペン王立芸術学院と並んで、ファッション分野で著名な世界3大スクールに数えられる。

約3,800人の大学生と400人以上の大学院生が在籍。127名の専任教授に加え、1,056名の非常勤講師が教鞭をとり、その多くがニューヨークで活躍するアーティストや各業界のプロフェッショナルである。生徒/講師の割合は、9:1である。

1992年にパーソンズとの提携により石川県金沢市にKIDI PARSONSが設立されるが、現在は募集停止している。

現在、日本のバンタンデザイン研究所(東京都)、ドミニカ共和国のLa Escuela de Disenso at Altos de Chavonと提携しており、これらの提携校はパーソンズの哲学と教育システムを導入している。バンタンデザイン研究所の運営する ⇒単位互換プログラムを日本で受講することにより、その後パーソンズにて最短1年間の留学で学位プログラム(AAS)を修了し、卒業できる。

また、イギリス、フランス、ドイツ、スウェーデン、アイスランド、オーストラリア、ウルグアイの学校と交換プログラムの関係を結んでおり、世界中から留学生を受け入れている。
歴史 ウィリアム・メリット・チェイスの肖像(1900年)

1896年(明治29年)にアメリカの印象派画家ウィリアム・メリット・チェイスにより当初Chase Schoolという名前で創立された。当時チェイスは、アート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨーク(130年以上の歴史がある美術学校)から離脱した更なる芸術の自由を求める革新的なアーティストのグループを率いていた。後の初期アメリカンモダニズムの若き才能のマースデン・ハートレーエドワード・ホッパーなどもチェイスの下で学んだ。創立から2年後の1898年にChase School からNew York School of Artへと名称を変更した。

1904年、Frank Alvah Parsonsがチェイスのグループに参加、その6年後には同スクールの学長に就任する。Parsonsは、産業革命の新しい波を期待しつつ、遅かれ早かれアート&デザインはこの工業化の大きなうねりの中にのみ込まれてしまうだろうと予感していた。この彼の未来を見据えたビジョンは、アメリカで最初のファッションデザイン(1904)、インテリアデザイン(1904)、アドバタイジング(広告)、グラフィックデザインの学科プログラムを生んだ。1909年、このビジョンに呼応するようにNew York School of Fine and Applied Art(Applied Artとは直訳するとアートを応用した、つまりデザイン)と名称を変更した。1911年には唯一のディレクターに就任し、彼が亡くなる1930年まで続いた。「アートとは、限られた人、才能ある人、天才、金持ち、または、教会の為に存在するのではない」、「産業とは国民の生活であり、アートは美の表現形態であり、またインダストリアルアートとは国の芸術の礎石となる存在である」とParsonsは語っている。日用品の中に美を求めた彼の追求は、モダンデザインというコンセプトを生んだ。彼の死後、この理念に基づいた世界の産業へのアートのかかわりの新潮流を見据えたビジュアルアート教育の方向性を決めたParsonsの功績を称えて、1936年学校名をParsons School of Designと改めた。

Parsonsの「芸術の一般社会への応用」という理念を世界へ広めるため、1921年にパリに分校を設立した。そして、現在パーソンズはヨーロッパ、アジア、ラテンアメリカなど世界中にパートナースクールを持ち、パーソンズ生の幅広い世界への進出を後押ししています。

1970年、パーソンズは先進的な考えを持った機関として良く知られたニュースクール大学(旧名The New School for Social Research)の傘下に入った。

パーソンズは、創立当初からその理論と実践のギャップを埋めるための、一般的な大学教育の枠にとらわれない教育に力を入れてきた。そして、2008年にパーソンズは5つのスクールに再編成され、今日の複雑な問題にあらゆる側面からアプローチできるようにするために、学部や学科という枠を超えたコラボレーションに取り組むようになる。この学部間を越えた教育の考えによって、教授も含め学生に現代の世界的な経済や文化の変化に対応できるような力をつける場を提供しています。
学生生活

大学スケジュールは秋学期(Fall)と春学期(Spring)の2学期制。秋学期は8月下旬から12月中旬まであり、その後12月下旬から1月中旬まで休み。春学期は1月の第3週目から5月中旬まで(3月に1週間の休みあり)、その後秋学期が始まるまで約3ヶ月の夏休みがある。

平均的な生徒(1学期に6クラス(16?18単位))でおよそ週20?30時間のクラスに加えて、同時間程度の準備時間が必要。通常の出席と授業参加も重要であるが、特に課題の講評会や重要なセミナーは、事前準備とディスカッションへの参加が必須。


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