パン・シヒョク
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パン・シヒョク

基本情報
別名"hitman" bang
生誕 (1972-08-09) 1972年8月9日(51歳)
出身地 大韓民国
学歴ソウル大学校
ジャンルK-POPR&B
職業音楽プロデューサー作曲家作詞家
活動期間1994年 -
レーベルHYBE LABELS
事務所BIGHIT MUSIC
共同作業者パク・ジニョン
JYPエンターテインメント
HYBE
公式サイトHYBE公式ウェブサイト

パン・シヒョク
各種表記
ハングル:???
漢字:房時?
発音:パン・シヒョク
ローマ字:Pang Sihy?k
英語表記:Bang Sihyuk
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パン・シヒョク(房時?、: ???、1972年8月9日 - )は、韓国音楽プロデューサー作曲家作詞家芸能プロダクションHYBE(旧 Big Hit Entertainment)の創業者で元最高経営責任者である。芸名は"hitman" bang(ヒットマン・パン)。愛称はパンPD。本貫南陽房氏[1]

防弾少年団(BTS)の生みの親として知られており[2]godWonder Girls2AMTEEN TOP、BTS、GFRIENDTOMORROW X TOGETHERなど、数々のアーティストのプロデュースを手掛けている[3][4]

韓国最大のモバイルゲーム会社ネットマーブル取締役会長であるパン・ジュンヒョクは従兄に当たる[5]
来歴

1972年8月9日、ソウル労働庁長と勤労福祉公団理事長を務めていた父親バン・グギュン(房極允)の長男として、ソウル特別市で生まれた。両親から音楽の道へ進むことを勧められており[6][7]、幼い頃から音楽へ情熱を注いでいた。

1989年京畿高等学校へ入学。

1991年京畿高等学校を卒業し、ソウル大学校(日本でいう東京大学)の美術学科へ入学後に大学在学中に作曲家としてデビュー。

1995年、ソウル大学校美術学科を次席で卒業。

1990年代半ばに、歌手で音楽プロデューサーのパク・ジニョンと出会い、しばしば楽曲制作のデュオを組んだ。

1996年、パク・ジニョンがJYPエンターテインメントを設立し、そこへ自身も作曲家、編曲者、プロデューサーとして入所[7][8]

1999年1月13日にデビューしたK-POPの第一世代である5人組男性アイドルグループ『god』のプロデュースで成功を収めた[3]。godのデビューアルバム『Chapter 1』の制作では、楽器や音楽のアレンジを担当し、パク・ジニョンがプロデューサー兼メインソングライターを務めた[9]。他にも、godの楽曲「One Candle」や「Road」などをアレンジ。godのアメリカでの成功により、パク・ジニョンと共に「ヒットメーカー」と評されるようになり[3]、芸名の「hitman(ヒットマン)」が誕生した。
2000年代

2003年?2004年、韓国内で大好評だったwonder girlsでエンターテイメントの本場である米国へ進出するべくキャンピングカーで朴ジニョンと米国内をどさ回りと洗濯係を担当しながら、アメリカンドリームを掴むべく、彼と男2人一間の部屋で過ごしていたが、まったく現地の人々にK-POPがなかなか受けず、1曲たりとも売れずで次第に金銭や生活等で大変な苦労を重ねていた時、朴ジニョンがシヒョクにいつも靴下を裏返しで洗濯を出すので、日頃のうっ憤も溜まっていた事もあり、「兄さん、靴下を裏返さないでとあれほど言ったのに!」と声を荒げて怒りが爆発して大喧嘩になった。

これをきっかけに「もうこれ以上師匠である朴ジニョンとwonder girlsを支える為に自分がついていくのは難しい」感じたシヒョクは朴とwonder girlsを置いて、先に母国である韓国へ帰国し、JYPエンターテインメントからの独立準備を始める。

2005年、JYPエンターテインメントから独立し、自身の音楽プロダクションBig Hit Entertainmentを設立。

2006年3月、イム・ジョンヒの2ndアルバム『Thanks』をプロデュース
2010年代

2010年9月、自身初のヒップホップグループとなる「防弾少年団」のメンバーを募るため「ヒップホップオーディション HIT IT」を開催

7人組男性ヒップホップグループ「防弾少年団(BTS)」のプロデュースを手掛けて、世界的な大成功を収めた。

2014年、男女3人組ユニット8eight(エイト)のシングル「Let's Not Go Crazy」をプロデュース

2016年に発売したBTSのアルバム『WINGS』では、6曲を共同作曲。本アルバムの成功により、第18回Mnet Asian Music Awardsでベスト・プロデューサー賞を、第8回Melon Music Awardsでソングライター賞を受賞した。

2018年には、BTSの功績により、アメリカの雑誌バラエティが発表した「インターナショナル・ミュージック・リーダーズ」の1人に選ばれた[10]

2019年4月、アメリカの情報サイトブルームバーグによって、資産価値が約7億7000万ドルであると見積もられた[11]

2020年代

2020年10月に申請されたBig Hit Entertainmentの株式公開では、純資産が28億ドルまで上昇しており、韓国で過去3年間に見られた最大規模の資産増加を見せた[12][13]。これによって、韓国長者番付にて6位を獲得し、韓国のエンターテインメント業界唯一の億万長者となった[14][15]。同年、バラエティが世界のメディア業界で最も影響力のあるビジネスリーダー500人を発表する「バラエティ500」に選出された[16]

同時期に、Big Hit Entertainmentの本格的な事業拡大を開始。

2019年7月29日、SOURCE MUSICや2020年5月25日、PLEDISエンターテインメントを始めとする多企業の買収や、Weverseの開発などのプラットフォームビジネスによる多角化へ乗り出した。

2020年1月23日、ビルボードの公式HPで世界音楽産業においてもっとも影響力のある人物を分野別に「韓国でビジネスを爆発的に多角化した」と評価し「Billboard Power 100」のマネジメント部門に選出

2020年10月15日、Big Hit Entertainmentを韓国取引所(KOSDAQ)に上場し、株価の大幅上昇を受け時価総額が11兆ウォン(約1兆円)に膨らんだ。新規株式公開(IPO)価格の13万5000ウォンに対し、初値は27万ウォン。その後は、この初値比30%高の値幅制限上限に達した。これを受け、シヒョクの資産は38億ドルに増え、韓国有数の富豪となった。シヒョクはBTSのメンバー7人と株式を分け合い、8月にメンバー1人につき6万8385株を付与している。

2021年3月19日、YouTubeで配信されたBig Hit Labelsの新ブランド発表会にて、事業拡大のため社名を「HYBE」に変更することを発表

2021年3月31日更なる事業拡大を狙い[17]、Big Hit Entertainmentの社名を「HYBE」へと変更[18]。同時に、「Big Hit」のアイデンティティーを残す形で、子会社「BIGHIT MUSIC」を設立した[19]

2021年7月1日にHYBEの代表取締役を辞職し、同社理事会議長役として音楽プロデューサーに専念。このため、マスコミなどではパンシヒョク議長という敬称で登場する。現在、HYBEの代表取締役はパク・チウォン(朴智援)である。

2021年7月1日、HYBEの最高経営責任者を退任し、取締役会長に就任することを発表した[20]


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