パンプローナ
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Pamplona / Iruna

  


 ナバーラ州
 ナバーラ県
面積25.24 km2 [1]
標高446m
人口205,762 人 (2023年[1]
人口密度7,841.61 [1] 人/km2
言語地域カスティーリャ語バスク語
自治体首長
(2011年)ホセバ・アシロン(EH Bildu 2023)
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パンプローナ(スペイン語: Pamplona)またはイルーニャ(バスク語: IrunaまたはIrunea)は、スペインナバーラ州ムニシピオ(基礎自治体)。ナバーラ州の州都である。かつてはナバーラ王国の首都だった。

毎年7月6日から14日にはサン・フェルミン祭(牛追い祭り)が開催される。アーネスト・ヘミングウェイの長編小説『日はまた昇る』の主な舞台である。
地理

パンプローナはナバーラ州の中央部に位置し、パンプローナ盆地として知られる円形の盆地の中にある。パンプローナは東西と南北の道路が交差する十字路にあり、北部と南部で大きく自然景観をつなぐ通商路となってきた。

パンプローナの歴史地区は、エブロ川支流のアルガ川右岸にある。今日の市街地はアルガ川の両岸に広がっている。気候は、大陸性地中海気候(en)の影響を受けた海洋性気候で、年間平均気温は12.6℃である。

1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月計
平均気温 (°C)5.25.59.410.916.317.721.221.819.2146.34.812.6

歴史詳細は「パンプローナの歴史(スペイン語版、ポルトガル語版)」を参照
都市の誕生とローマアルガ川に架かるマグダレーナ橋

紀元前75年から74年にかけての冬、一帯は共和政ローマの将軍ポンペイウスセルトリウスとの争いの中で駐屯地とした。彼はポンパエロ(Pompaelo)の創設者とみなされている[2]。ポンパエロが現代スペイン語でパンプローナとなった。ここは、ローマ人がやってきた頃に既に一帯に住んでいたヴァスコン人(en、バスク人の祖先とされる)の主要な町で、彼らは町を、都市を意味する言葉『イルーニャ』(Iruna)と呼んだ。ローマ都市ポンパエロは属州ヒスパニア・タラコネンシスに含まれ、ブルディガラ(現在のボルドー)からアストゥリカ(現在のアストルガ)へと至る道の途上にあった[3]。それはカエサラウグスタ(現在のサラゴサ)の属州州都の管轄区域にある都市だった[4]。ポンパエロはローマ属州ヒスパニアの目立った都市とはいままでみなされず、最近の考古学発掘物が高い内容の文化の発展を公けにした。
中世初期

ローマ帝国の衰退後、4世紀から8世紀に西ゴート王国が栄えた時代には、西ゴート族がポンパエロを管理下においていたとすればもっともだが、おそらく断続的な支配だけだったのだろう。パンプローナの要塞化された都市は、土着のヴァスコン人が独立を保っていた。それは、数名のパンプローナ人司教トレド教会会議に出席していたことでも知られていた。

8世紀、モーロ人フランク族が断続的に市を支配下に置いた。732年、アブドゥル・ラフマーン・アル・ガーフィキー(英語版)がピレネーを越えてトゥール・ポワティエ間の戦いで敗北した。この曖昧な時代に最もよく知られる挿話は、カール大帝が778年にサラゴサ遠征を失敗した後、パンプローナの市壁を破壊したことである。彼はその直後に有名なロンスヴォーの戦いで敗北したのである。8世紀終わり、パンプローナとその影響を受け動揺する一帯は、2つの強力な国家、フランク王国後ウマイヤ朝の間にあった。しかしこの2つはバスク地方を恒久的に支配することが確実でなかったと証明された。この錯綜は、バスク人貴族の内部紛争も反映していた。ついに、824年にイニーゴ・アリスタ(スペイン語版、英語版)がパンプローナ王(のちにナバーラ王)として即位した。この王国は、弱体化したフランク王国とコルドバの太守国からその独立を強化した。それにもかかわらず、この時代のパンプローナは都市として繁栄せず、ちょうど要塞の一種であった。
3つのブルゴスと1つの都市

11世紀から復活した経済成長がパンプローナの都市生活を回復させた。歴代のパンプローナ司教たちは、教会内の指導者的役割に復帰した。かつて数世紀間孤立していた修道院、特にレイレ修道院は実際に宗教の権力を持っていた。サンティアゴの巡礼路が、ピレネー山脈を越えてやってくるヨーロッパのキリスト教徒と商業・文化のやりとりを復活させるのに多大に貢献した。12世紀、パンプローナは2つの分離されたブルゴス(独立した自治体)を持つ都市に拡大した。サン・セルニン(San Cernin)とサン・ニコラス(San Nicolas)は、地元ナバーラ人の定住者に加えフランス人商人と職人の流入によって膨張した。パンプローナ旧市街と、新ブルゴスはほぼ常に両者の間で起こる紛争で忙しかった。最も劇的な事件は、1276年に起きたブルゴス住民によるナバーラ人居住区の破壊と住民の虐殺である。この凄惨な出来事の場所は以後ほぼ50年間打ち捨てられていた。ナバーラ王カルロス3世は、1423年にブルゴスを統合して1つの都市とする法令を発した。カスティージョ広場
城塞都市

1512年のカスティーリャ王国による軍事侵攻の際、敗北したナバーラ王フアン3世はフランスへ逃亡、その後奪回はことごとく失敗してしまった。ナバーラで開催されたコルテスは、ナバーラの自治権と独自性の維持を条件に、併合を受け入れた。以後、パンプローナは名目上のナバーラ王国の首都であり続けた。パンプローナは、ピレネーの軍事防衛における鍵の役割を得たのである。市の南側は弱く、ナバーラ王ルイス1世(フランス王ルイ10世)は14世紀初頭にこの地に城を建設した。これが現在知られているカスティーリョ広場である。カスティーリャによる併合後、フェルナンド5世は1513年に、中世の城と非常に近接した場所にある新しい城の廃棄を命じた。しかし、大砲の進化が要塞化システムの完全な刷新を要求した。フェリペ2世は市南側に星型要塞の建物建設と、全ての城壁の現代化を命じた。16世紀終わりから18世紀にかけて建てられた城壁は現在も残っている。

18世紀の間、パンプローナは相当に美化され都市サービスが改善された。途切れのない上水道が完備され、その他の強化に混じって通りが舗装された。裕福な貴族と商人も自分たちの邸宅を建てた。19世紀、この要塞化都市はスペインが巻き込まれた幾多の戦争で重要な役割を担った。スペイン独立戦争では、フランス軍が1808年にパンプローナを占領し、1813年まで駐留していた。カルリスタ戦争(1833年-1839年、1872年-1876年)では、パンプローナはそのたびごとに自由主義者らに管理された。一部のナバーラの自由主義者が主にパンプローナに住んでいたからではなく、政府が支配する要塞都市だったからである。


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