パンチ_(雑誌)
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出典検索?: "パンチ" 雑誌 ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2019年6月)
リチャード・ドイルによる『パンチ』表紙(1867年)

『パンチ』(Punch, or The London Charivari)は、ヘンリー・メイヒュー及びマーク・レモン、そして木版画家エビネザー・ランデルズにより、1841年7月17日に創刊されたイギリスの週刊風刺漫画雑誌である。
歴史

『パンチ』の創刊者達はフランスの日刊風刺新聞『ル・シャリヴァリ(英語版)』Le Charivari を見て、イギリスにも同様の雑誌を作ろうと考えた。その風刺的かつユーモラスな意図を反映して、彼らはその雑誌に、イギリスの大衆向けの伝統的な人形芝居パンチとジュディ」の主役であり、過激な言動で知られていたキャラクターであるミスター・パンチの名を冠して発行人に据え、またフランスの雑誌にあやかって「ザ・ロンドン・シャリヴァリ」と副題を添えた。現代の英語で「カートゥーン」が漫画を意味する言葉となったのは、『パンチ』の功績である。グレート・ゲームの風刺画。熊(ロシア)とライオン(イギリス)に狙われたアフガニスタンを描いている。コンゴ自由国の風刺画。手を切り落とされるコンゴ人を尻目にコンゴで儲けるレオポルド2世を批判している。

創刊号の表紙は挿絵画家のアーチボルド・ヘニングが担当した。創刊号はW・ブライアント出版社から発売され、雑誌サイズはA4判14ページ、値段は3ペンスで、第1刷5000部と増刷5000部の計10000部を売り上げた。

1849年1月のリチャード・ドイルによるミスター・パンチと忠犬トビーを配した表紙は好評を博し、以後107年間にわたってこのデザインがパンチの表紙として定着した。かのアーサー・コナン・ドイルの叔父であるドイルは同誌の常連寄稿者であった。

イギリス国外での『パンチ』の派生雑誌として、日本の横浜居留区で1862年チャールズ・ワーグマンにより創刊された『ジャパン・パンチ』や、中国の『チャイナ・パンチ』、アメリカ合衆国の『パンチネロ』 (Punchinello) がある。『ジャパン・パンチ』は、日本における漫画の呼称の一つである、「ポンチ絵」の語源となった。

特筆すべき寄稿者として、ジョン・ベチェマン、A・P・ハーバート、A・A・ミルンアンソニー・パウエル、ウィラード・R・エスピー、W・C・セラーとR・J・イェートマン、サッカレー、アルテムス・ウォード、P・G・ウッドハウスがいる。ジョン・テニエル19世紀後半の常連寄稿者で、健康上の理由による数回の休載を除いては、50年間にわたり毎週1ページ全体を使った政治漫画を連載していた。『パンチ』によって、玉石混淆ながら英語に幾つかの新たな語彙が生まれた。“the Diary of a Nobody'”や“1066 and All That”のような幾つかのイギリスユーモア小説の古典は、最初に『パンチ』で連載された。


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