パンスペルミア説
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パンスペルミア説のイメージ図

パンスペルミア説(パンスペルミアせつ、: πανσπερμ?α、宇宙汎種説[1])は、生命起源論の一つ。地球生命の起源は地球外から来たとする説である。提唱された生命の「素」には、たとえば微生物芽胞DNAの鎖状のパーツやその一部、あるいはアミノ酸が組み合わさったものなどが挙げられる。「胚種広布説」とも邦訳される[2]
歴史
考え方、仮説、理論の歴史

『生命の起源は、天上の世界からまかれた種』とする、信仰としてのパンスペルミアは、エジプト古王国(前27世紀―前22世紀)までにさかのぼり、初期のヒンドゥー教ユダヤ教、キリスト教のグノーシス主義にも見られるように、有史時代と同じくらい古い信仰の一つである[3]

パンスペルミア説の先駆は、「生命の種」を語ったギリシャの哲学者アナクサゴラスの思想に見られる。しかしこの考察は忘れ去られてしまった。というのは、古代ギリシアで、アリストテレスが「自然発生説」を唱えたからである。アリストテレスは生命に関する多数の観察を重ね、生命に関する論文を書きためていたのだが、ある日、アリストテレスは泥の中から「うなぎの子」などが出てくるのを見て、「生命は、基本的には親から生まれるが、一部は泥の中から生まれることもある」とする説を提唱した。当時のいわば学術界では頂点的な存在であったアリストテレスの説が広く受け入れられた結果、パンスペルミア説のほうは忘れ去られてしまった。

一方、中世ヨーロッパの思想界にとっては、パンスペルミア説は『旧約聖書』の最初の章「創世記」に書かれている天地創造(宇宙および生命の創造)の記述と矛盾していたために受け入れられなかった。

パンスペルミア説がヨーロッパでようやく受け入れられるようになったのは19世紀になってからのことである。1859年にチャールズ・ダーウィンが生物学的進化論を確立し、1884年にルイ・パスツールが生命発生の因果性の問題について実験を行ったことで、地球上の生命の起源の問題が多くの科学者に認識された。
「パンスペルミア」という用語の歴史

フランスの学術系ウェブサイト「Ortlang」によると、ギリシア語「πανσπερμ?α(パンスペルミア)」の意味は、もともとは「melange de toutes sortes de semences(さまざまな種子の寄せ集め)」だったと解説されている[4]。そして同サイトによると「パンスペルミア」という用語の意味(定義)は19?20世紀に次のように変化したという。

1823年時点では、Boisteが書いた「amas confus de substances heterogenes(不均一な物質の雑然とした寄せ集め)」という説明文があった[4]

1842年時点では「theorie selon laquelle les germes des corps organises sont presents dans tout l'univers(生命体の種子は宇宙全体に満ちているとする理論)」という説明文がAc. Compl.に掲載された[4]。つまりこの時点ではすでに、ほぼ現在の意味の用語として用いられていた。

1949年時点では「theorie selon laquelle la vie aurait ete introduite sur la terre par des germes venus d'autres planetes(地球上の生命は、他の惑星から来た種子によって始まったとする理論)」という説明文がNouveau Larousse Universel『新・ラルース百科事典』に掲載された[4]

20世紀の研究
アレニウス

1903年に、スウェーデンのスヴァンテ・アレニウス[5]が提唱する。

1905年アインシュタイン光量子仮説を発表したが、1908年アレニウスは自著『世界のなりたち』(: Das Werden der Welten)を出版し、パンスペルミアが隕石に付着せずともそれ自体として、恒星からの光の圧力すなわち放射圧または光圧で宇宙空間を移動する説[6]を現して、「光パンスペルミア(説)(: Radiopanspermie)」[6]と呼称している。地球の位置における太陽光の光圧は5マイクロパスカルと微細だが、宇宙空間に浮遊する極小物体を移動させる可能性[6]があるとしている。当時は光圧を用いた太陽帆の実証は実験されておらず、ブラックホールの研究で著名なシュヴァルツシルトによる太陽放射に最も影響される球体は直径160nm[6]とする推算値を提示して自説を補強している。当時は最小微生物は200 - 300nmとされていたが現在は200nmをやや下回る程度と考えられシュヴァルツシルトによる推算値[6]に近傍している。

アレニウスの「光パンスペルミア」に対する、隕石などに付着した生命の種子に起源がある、旨の説は「弾丸パンスペルミア (ballistic-panspermia)」や「岩石パンスペルミア (lithopanspermia)」[6]と呼称される。

光パンスペルミアと弾丸パンスペルミアはともに、微生物が地球へ到達するには宇宙の超低温に耐えねばならない。当時は海王星の大気温度はマイナス220度と推定され、微生物が液体空気のマイナス200度で半年以上生存する[6]とアレニウスは実験で例証している。生命現象を化学現象の一種ととらえるなら温度が低いほど生命の過程もゆっくり進むとアレニウスは洞察し、室温10度で1日で死ぬ微生物は海王星のマイナス220度ならば死滅まで300万年を要する[6]と試算している。
トムソン、ヘルムホルツ

ウィリアム・トムソンもパンスペルミア説を唱えた。ウィリアム・トムソンを嫌っていたツェルナーは、トムソンの様々な説を批判し、トムソンの支持したパンスペルミア説も批判した。「大気圏突入の熱に耐えられない」と攻撃した。トムソンの仲間のヘルムホルツはトムソンの説を擁護。隕石の深部の温度は上がらない、隕石表面の微生物や大気圏突入時に隕石が割れた部分の微生物は大気圏の摩擦で振り落とされゆっくり落ちるのでショックは小さいと擁護した[7]
フレッド・ホイル

1978年にはフレッド・ホイルが、生命は彗星で発生しており彗星と地球が衝突することで地球上に生命がもたらされたとした[5]
クリックとオーゲル

1981年にはフランシス・クリックとレスリー・オーゲル(英語版)が、高度に進化した宇宙生物が生命の種子を地球に送り込んだとする仮説を提唱した[5]。「地球が誕生する以前の知的生命体が、意図的に『種まき』をした」とする説は「意図的パンスペルミア」と呼ばれている[8]。これは、一般的なセンスではまるでサイエンス・フィクションのようにも聞こえる説ではあるが、クリックはこの説の生物学的な根拠を提示した[8]。現在の地球上の生物でモリブデンが必須微量元素と重要な役割を果たしているが、クロムニッケルは重要な役割を果たしていない。しかし、地球の組成はクロムとニッケルが多く、モリブデンはわずかしか存在しない。これは、モリブデンが豊富な星で生命が誕生した名残だと考えることができるとしたのである[8]。もうひとつの論拠として、地球上の生物の遺伝暗号がおどろくほどに共通したしくみになっているのは、そもそも「たったひとつの種」がまかれて、その種から地球上の全ての生物に変化していったと考えられるとした[8]
現代の研究

2008年から2015年にかけて、国際宇宙ステーションの外で3回の宇宙生物実験(EXPOSE)が実施され、多種多様な生体分子、微生物、およびそれらの胞子が約1.5年間、宇宙の太陽放射と真空にさらされた。


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