パンクラス
設立1993年
主催パンクラス実行委員会[1]
本部 日本
160-0023
東京都新宿区西新宿1-22-2
新宿サンエービル14階
代表者実行委員長 福井幸和
サイト ⇒パンクラス公式サイト
備考Logo
パンクラス
YouTube
チャンネル
pancrase_mma
活動期間2012年7月18日 -
ジャンルスポーツ
登録者数約 6.43万人
総再生回数約 3,750万回
YouTube Creator Awards
チャンネル登録者数・総再生回数は
2022年6月21日時点。
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パンクラスは、日本の総合格闘技団体。スローガンは「ハイブリッドレスリング」。 古代ギリシャの格闘技「パンクラチオン」の前身とされる競技名が由来。 1992年12月、船木誠勝、鈴木みのるらは、当時所属したプロフェッショナルレスリング藤原組(スポンサー企業はメガネスーパー)の経営悪化から代表の藤原喜明と方針が対立。船木の退団後、石川雄規を除いた鈴木を含む全所属選手が追随。しばらくは活動拠点を持たず「船木派」として自主練習を継続した。その後、UWF時代の縁故を頼り尾崎允実を社長として設立したのがワールド・パンクラス・クリエイト[2][3]。 パンクラスの旗揚げ発表前後には全所属選手が肉体改造を済ませ、体脂肪を極限まで絞り込むプロボクサーさながらの筋肉質体型を披露。藤原組在籍時と一変した選手たちの姿は、プロレス・格闘技ファンへ衝撃を与えた。 「完全実力主義」を標榜。U系団体初となる、全試合をシュートで行うという画期的なものだった[注 1]。従来のU系団体と一線を画す衝撃的な試合内容は「秒殺」という流行語を生み出し、多くのファンを獲得していく。また、「UWFの最後の扉を開いた」と形容された。 その試合内容は、それまでU系団体に懐疑的だった多くの格闘技関係者から注目を集める。全日本キックボクシング連盟の協力による鈴木、船木とモーリス・スミスとの再戦や、すでに純粋なプロ格闘技団体と目されていた修斗から山田学の移籍にも繋がった。U系団体の扱いが次第に小さくなっていた格闘技通信誌上でも完全に格闘技団体として扱われ、毎回の試合が大きく記事で取り上げられていた。 思い切って一線を踏み切った理由は、格闘技的な理想論だけではなかった。後発団体として他のU系団体との差別化を図るには、それ(全試合シュート)を見せるしかないという苦肉の策でもあったことを、後年のインタビュー記事などで船木と鈴木が明かしている。 旗揚げ戦からしばらくすると、選手の負傷増加やグラウンドでの防御技術向上による膠着多発などを要因とする完全実力主義ゆえの興行性と競技性のジレンマに直面。船木がリングで「潰し合いは嫌なんだ」と叫んだこともある。対策として選手の負傷率が高かったヒールホールドをU系で初めてルールにおいて禁止技とした。U系団体独自のロストポイント制は、既存団体で最少となる5ロストポイント制(従来と異なり、ロープエスケープとノックダウンが同価)ながら当初存在したが、それも段階的に廃止されていく。この流れを受け、リングスやUWFインターナショナルなど、他のU系団体ものちに追随することになる。また1998年から1999年にかけ「パンクラチオンマッチ」と銘打たれたバーリトゥードへの対応を目指した実験的な試合を導入。それらを経た2000年から、オープンフィンガーグローブ着用、グランドパンチ解禁により完全な総合格闘技ルールを導入していくことになる。打撃なしのグラップリングマッチである「キャッチレスリング」も一時期行われていた。 1997年7月、船木率いるパンクラス東京と鈴木率いるパンクラス横浜に分裂。 2002年1月、パンクラス東京とパンクラス横浜が統合されパンクラスismとなる。 2000年5月26日、「コロシアム2000」にてヒクソン・グレイシーに敗れた船木が引退。この前後からパンクラスは競技団体として色濃くなっていった。階級および、ルール整備などが行われ、他団体からの参加選手も目立つようになった。しかし、参加団体であるSKアブソリュート
団体名の由来
歴史
ワールド・パンクラス・クリエイト