パンクブーブー
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パンクブーブー
メンバー佐藤哲夫
黒瀬純
別名パンブー、パンク
結成年2001年
事務所吉本興業
活動時期2001年 -
出身福岡吉本
出会い事務所
旧コンビ名モンスターズ(佐藤)
バレッタ(黒瀬)
ブーブー・ザ・パンク
現在の活動状況テレビ・ライブなど
芸種漫才コント
ネタ作成者佐藤哲夫
過去の代表番組ヨシモト∞
同期佐藤
ヒロシ
スパローズ
タカアンドトシ
ブラックマヨネーズ
野性爆弾など黒瀬
バッドボーイズ
あべこうじ
バイきんぐ
ガリットチュウ
佐久間一行など
公式サイト公式プロフィール
受賞歴
2009年 M-1グランプリ 優勝
2011年 THE MANZAI 優勝
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パンクブーブーは、吉本興業東京本社に所属する日本お笑いコンビM-1グランプリ2009THE MANZAI 2011王者。略称「パンブー」。
メンバー


佐藤 哲夫(さとう てつお、 (1976-04-03)
1976年4月3日(48歳) - )
ボケ・ネタ作り担当、立ち位置は向かって左。大分県大分市[1]出身。身長174cm血液型AB型。大分県立大分豊府高等学校卒業。詳細は「佐藤哲夫」を参照


黒瀬 純(くろせ じゅん、 (1975-05-08)
1975年5月8日(49歳) - )
ツッコミ担当、立ち位置は向かって右。福岡県糟屋郡篠栗町出身[2]。身長163cm(一時期サバを読んでいたため、福岡吉本時代のプロフィールでは166cmとなっている)。血液型O型。詳細は「黒瀬純」を参照
来歴
福岡吉本時代

メンバーは元々吉本興業福岡事務所(現・吉本興業福岡支社、以下「福岡吉本」と記述)に所属しており、佐藤は6期生、黒瀬は8期生としてデビュー。佐藤は約6年間、黒瀬は約4年間福岡吉本に在籍していた。当時の佐藤は赤峯康一(元どんぴしゃ)とコンビ『モンスターズ』を組み、『Hi-Ho!』(テレビ西日本)などの番組に出演していた。黒瀬はバッドボーイズと同期で、上荒礒勇とコンビ『バレッタ』を組んでいた。2人の初対面は黒瀬を含む福岡吉本8期生の歓迎会で、佐藤はその2つ上の先輩として彼らと顔を合わせたが佐藤は黒瀬のことを「ダサイ奴[注 1]」と思い、黒瀬の方は佐藤を「寡黙で雰囲気のある、ちょっと怖い先輩」として見ていた。しばらくは特に大きな接点もないままであったが、パチンコ好きで目押しが得意だった2人はコンバット満MCの深夜パチンコ番組のレギュラーへ抜擢され、それをきっかけとして親交を深めるようになる。

やがてお互いのコンビが同時期に解散し、上京を考えていた2人は自然と行動を共にするようになる。そしてたまたまボケとツッコミだったことから2001年4月に現在のコンビを結成。結成当初のコンビ名は『ブーブー・ザ・パンク』だったが、程無くして現在のコンビ名に改めた。コンビ名の由来はそれぞれの解散してしまったコンビを車に例え、「車(ブーブー=コンビ)がパンクしてもくっついて力を合わせればまだ走れる」という意味。ただしM-1ではコンビ名が原因で、スポンサーがカー用品店のオートバックスだっただけに扱いに苦慮していたエピソードもある(後述)。
東京吉本へ

当時の福岡吉本では所長の方針で、「事務所の許可なしに芸人自身の判断で東京の事務所へ移籍することは認めない」というものがあり、どうしても上京したい芸人は「吉本を辞め、東京の芸能事務所のオーディションを受けて入り直す」のが慣例であった[注 2]。これに倣って2人は上京するために一度吉本を辞めて、活動の拠点を東京に移した。

上京して間もない頃は、吉本にこだわらず東京中の芸能事務所のオーディションに参加していた。それから少し経って東京へ転勤になったその福岡吉本所長から謝罪を受け、「吉本の新しい劇場(ルミネtheよしもと)がもうすぐ完成するから、もう一度吉本に来い」と誘われて再び吉本入りを決意。ルミネの誕生と共にルミネの舞台へ立ち続けている数少ない芸人でもある。

結成から2年後の2003年、『爆笑オンエアバトル』(NHK総合)に初出演し番組記録タイとなる高得点をマーク(詳細は後述)。一躍コアなお笑いファンの注目を集める存在となる。その後も同番組へ出演し続け屈指の強豪として知名度は上昇、同番組を支える1組となった。

第2回、第3回お笑いホープ大賞において決勝進出。第2回大会の決勝では珍しくコントを披露するもネタの途中で女装していた佐藤のパンツが見えてしまい、それを見た黒瀬が笑ってしまって後半のネタがおかしくなり優勝を逃した。
M-1グランプリ優勝後

2009年、『M-1グランプリ2009』で優勝。九州出身の芸人かつ吉本所属の関東漫才師として初の受賞。また、大阪を除く吉本地方事務所出身者としても初の優勝であった。最終決戦では審査員7人全員から票を得た。

2010年10月7日、フットボールアワーのオンラインを担当したが、麒麟のオンラインを2回、フットボールアワーを1回担当したのは覚えていたがオリエンタルラジオのオンラインを担当していたのは忘れていた。2010年10月19日にはペナルティのオンラインを担当した。

2010年、『M-1グランプリ2010』にて2連覇を狙うべく出場し準決勝で敗退するも、敗者復活を勝ち上がり決勝進出。最終結果は3位。

2011年、M-1グランプリの後継番組となる『THE MANZAI 2011』に歴代M-1王者の中で唯一出場、認定漫才師に選ばれる。2回の本戦サーキットでどちらも1位となりトップ成績で決勝進出。2位の磁石に10ポイントという大差を付けていた。12月17日、THE MANZAI 2011決勝戦で優勝を成し遂げ2009年のM-1グランプリと併せて2冠を達成した。

『THE MANZAI 2011』の優勝商品である「フジテレビの番組レギュラー権」として、2012年1月9日よりフジテレビ三田友梨佳アナウンサーと共にパンクブーブー初の冠番組『ミタパンブー』が開始。


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