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パンク(英: punk)は、パンク・ロックを中心に発生したサブカルチャーである。当初はロック音楽、イデオロギー、ファッションを中心としていたが、後にアート、ダンス、文学、映画などが含まれるようになり、独自のサブカルチャーを形成した。
パンクというサブカルチャーを体現する人々をパンクス (punks) と呼ぶ。1人の場合はパンク (punk) である。本来の意味は「不良、チンピラ、役立たず」[1]である。
歴史パンクは1970年代中頃、アメリカ合衆国とイギリスで生まれた。具体的な発祥地ついては諸説ある。オーストラリア、南アフリカ共和国、日本の大都市でも比較的初期にパンクの影響が見られた[2][3][4][5][6][7]。列車内の2人のパンクス(1986年)。右の男のコートにクラスのシンボルがステンシルで描かれている点に注意。
初期のパンクは様々な影響から生まれたもので、Jon Savage
はこのサブカルチャーを、西洋で第二次世界大戦以後に存在したあらゆる若者文化を「安全ピンでまとめて止めた」ようなブリコラージュだと称した[8]。様々な哲学的ムーブメント、政治的ムーブメント、芸術的ムーブメントがこのサブカルチャーに影響を与えた。特にパンクはいくつかのモダンアートの系統に触発されている。パンク的美学の形成には、多くの作家、書籍、文学運動が重要な役割を果たしている。パンク・ロックにはエディ・コクラン、フレディ・キャノンらのロックンロールからザ・フー、ストージズらのガレージ・ロックなどのルーツが存在する。
最初期のパンク・ロック(後からプロトパンクと呼ばれるようになった)は、1960年代末のアメリカ北東部でのガレージロックのリバイバルを始点とする[9]。最初に当時から「パンク」と呼ばれる音楽が登場したのは、1974年から1976年のニューヨークでのことである[10]。それとほぼ同時期か直後にロンドンでもパンクが見られるようになった[11]。間もなく、ロサンゼルスでもパンクが見られるようになった[12]。これら3都市が急成長のバックボーンを形成したが、ブリスベンやボストンなど他の多くの都市にもパンクは広がっていった。
1970年代末にパンクというサブカルチャーはニュー・ウェイヴ、2トーン[13]、オルタナティヴ、ノー・ウェーブ、CMJ、カレッジ・ラジオなどの新ジャンルや媒体を生み、裾野が広がっていった。アメリカでは1980年代初めごろ、パンクに後から導入されてきた軽薄さやロックの形式を排除し、より過激なハードコア・パンクが生まれた。同じころイギリスでも似たような動きがあり、こちらはストリートパンク
と呼ばれた