パロマレス米軍機墜落事故
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座標: .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯37度15分 西経1度48分 / 北緯37.250度 西経1.800度 / 37.250; -1.800

パロマレス米軍機墜落事故引き上げられた水爆
Collisionの概要
日付1966年1月17日
概要空中衝突
現場 スペイン アンダルシア州 パロマレス(英語版)付近の地中海上空
死者総数7
生存者総数4
第1機体

同型機のB-52G
機種B-52G
運用者 戦略航空軍団
機体記号58-0256
出発地 シーモア・ジョンソン空軍基地
目的地 シーモア・ジョンソン空軍基地
乗員数7
死者数3
生存者数4
第2機体

同型機のKC-135
機種KC-135
運用者 アメリカ空軍
機体記号61-0273
出発地 モロン空軍基地
目的地 モロン空軍基地
乗員数4
死者数4 (全員)
生存者数0
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パロマレス米軍機墜落事故(パロマレスべいぐんきついらくじこ)は、1966年1月17日スペイン南部の上空で米軍機同士が衝突し、アンダルシア州アルメリア県クエバス・デル・アルマンソーラのパロマレス集落に水素爆弾4個が落下した事故である。4個の内3個は地上へと落下し土壌の核汚染を引き起こし、残る1個は海中へと没したが80日後にサルベージされた。
概要アルメリア県内でのクエバス・デル・アルマンソーラの位置

冷戦中のクロームドーム作戦(英語版)で、4発の水爆を積んでいた[1]アメリカ空軍戦略航空軍団(SAC)に所属する爆撃機B-52G(シリアルナンバー58-0256)と、空中給油機KC-135A(シリアルナンバー61-0273)が地中海の3万1千フィート上空で空中給油中に衝突、墜落した。KC-135Aの乗員4名は全員死亡。B-52Gの乗員は4名が脱出した[2]。4個の水爆(B28RI[3])のうち3個がパロマレス近くの地上に落下し、1個が海中に落下した[注釈 1]

地上に落下した水爆のうち、最初に発見された1個はほとんど無傷だったが、他の2個は核爆発せずに起爆用の通常火薬が爆発し、ウランプルトニウムが飛散して2km2の土地が汚染され、まるで汚い爆弾のような状態だった[4]。米軍は1750トンの土を除去し、サウスカロライナ州のサヴァンナ川核施設に運んだ。しかし2011年現在でも、面積30ヘクタールの5万m3に500gのプルトニウムが残る。

事故直後、安全性をアピールするためにスペインの情報観光大臣マヌエル・フラガと在スペインアメリカ大使のアンジー・デュークは記者の前で海で泳いでみせた(これは実際には2度あり、1度目はデュークと随行員が15km離れたモハカルのビーチで泳ぎ、2度目はデュークとフラガがパロマレスのビーチで泳いだものである)。

海に落ちた水爆は米海軍による長い探索ののち、80日後の3月17日に深海探査艇アルビン号に発見され、潜水艦救難艦ペトレルの上に引き上げられた。サルベージ船ホイスト(英語版)で引き上げ作業中、海軍のダイバーカール・ブラシア(英語版)が事故で脚に重傷(のちに切断)を負った。2000年、このダイバーの事故を元にキューバ・グッディング・ジュニア主演の映画『ザ・ダイバー』が製作された。
事故後の現地

パロマレスの落下地点近くでは住民が農業を続けていたが、2004年にスペイン政府は2ヘクタールを買収し、2007年までにフェンスで封鎖した。政府のエネルギー・環境技術センター(CIEMAT)は、「大気中の放射線値は国際基準より低く、住民の健康にも影響はない」と述べている。しかし、環境団体は政府の安全基準を上回る放射線が検出されたと主張し、2006年には実際にカタツムリから通常より高いレベルの放射線が検出された。スペイン政府は買収した土地の回復策と費用分担について米国と協議している。

スペイン政府は2006-08年に660ヘクタールを調査した結果、30ヘクタールで規制値以上(最大40倍)のプルトニウムを検出し、場所によっては深さ5mに達したため、41ヘクタールを鉄柵で囲った。

スペイン南部の海岸はヨーロッパからの観光客でにぎわい、パロマレスでは外国人向けの別荘地が立てられている。住民は風評被害を恐れ、クエバス・デル・アルマンソーラの市長は「政府は安全宣言を出すべきだ」と述べている[5]
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 核兵器事故を、米軍では「折れた矢(Broken Arrow)」と呼び、最優先で対策が行われる。

出典^an. 17, 1966: H-Bombs Rain Down on a Spanish Fishing Village Archived 2008年12月3日, at the Wayback Machine.
^Ron Hayes, "H-bomb incident crippled pilot's career", Palm Beach Post, January 17, 2007
^ Randall C. Maydew. America's Lost H-Bomb: Palomares, Spain, 1966. Sunflower University Press. ISBN 978-0897452144.
^ [Eisenbud, Merril; Gesell, Thomas F. (1997). Environmental radioactivity: from natural, industrial and military sources. Academic Press. p. 429. ISBN 0-12-235154-1.]
^ 「事故後の現地」の節は、朝日新聞の記事による。

参考文献

沢村亙「水爆落下の村 戸惑い - 米軍機事故から41年 スペインで本格調査」朝日新聞2007年8月23日13版9面

三井美奈「放射能45年後も脅威 開発進むリゾート地」読売新聞 2011年7月12日

関連項目.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、パロマレス米軍機墜落事故に関連するカテゴリがあります。

魚が出てきた日』 - ケイ・シセリスによる小説

燃える地の果てに』 - 逢坂剛による小説

昆虫大戦争』 - 松竹による特撮映画










1965年・ 1966年 (1966)の航空事故・インシデント ・1967年


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