パルヴァーン州
?????
州
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度0分 東経68度55分 / 北緯35.000度 東経68.917度 / 35.000; 68.917
パルヴァーン州(パルヴァーンしゅう、ダリー語: ?????[4][5])は、アフガニスタン東部の州である。面積は5715平方キロメートル(34州中26位)、人口は約63万人(34州中14位)、人口密度は111人/平方キロ(34州中6位)である[2]。州都はチャーリーカール(英語版)。パルワーン州やパルワン州、パルワン県とも表記される。
地理パンジシール渓谷の入り口
日本の三重県と同じくらいの大きさの州である。州の南東部はショマリ平野、それ以外はヒンドゥークシュ山脈である。州の北部にはサラン峠があり、西にはバーミヤーン州のシバル峠、南には首都カーブル、北東にはパンジシール州のパンジシール渓谷やハワク峠があり、交通の要所になっている。平野には西からゴールバンド川、北からはサーラン川とパンジシール川が流れ込み、緑豊かな田園が広がっている。軍事的な要衝でもあり、州都の南にはバグラーム空軍基地がある。 古代のインダス文明はメソポアミア・ハラッパー路を通じて、金などの貴金属や木材をメソポタミア文明に輸出していた。ガンダーラの首都はタキシラにあり、パルヴァーン州やカーピーサー州、パンジシール州周辺の峠はヒンドゥークシュ山脈を越える交通の要所の1つだった[6]。そのため紀元前6世紀ごろ、現在のパルヴァーン州バグラーム郡の辺りにはガンダーラの都市と砦があったが、前530年にアケメネス朝のキュロス2世が砦を破壊し街を占領した。アケメネス朝では街はカーピシャカーニシュと呼ばれて居り、ベヒストゥン碑文にも登場する[7]。前522年、キュロス2世の後を継いだダレイオス1世に対してヴァヒヤズダタが反乱を起こしたが、この付近で敗北した[8]。前481年、ダレイオス1世の後を継いだクセルクセス1世はギリシャに攻め込み、ペルシア戦争が起きた。ベヒストゥン碑文によると、クセルクセス1世の軍勢の中にはスキタイの剣で武装したカピサの住民(カスピ人)が居たと言う[9]。紀元前4世紀、アレクサンドロス3世がアケメネス朝に攻め込み、前330年にカピサを占領した。アレクサンドロス3世は街を再建し、コーカサスのアレクサンドリア 13世紀、チンギス・カンがホラズム・シャー朝を攻撃した。ホラズム・シャー朝のジャラールッディーン・メングベルディーは1221年にパルワーンの戦いで、モンゴル軍の1つを打ち破った[14]。 1950年頃はパルヴァーン州はカーブル州の一部だったが、1957年までに分割されて独立した州になった[15]。 2004年4月、パルヴァーン州からパンジシール州が独立した[15]。10月、第一回の大統領選挙が実施され、パルヴァーン州ではユーヌス・カーヌーニー(約58%)が最多得票を得た[16]。2009年8月、第二回の大統領選挙が実施された。パルヴァーン州ではアブドラ・アブドラ元外相が最多得票(約63%)を得た[17]。2012年12月、ISAF軍はシンワリ郡やシアゲル郡以外の治安権限をアフガニスタン軍に移譲した[18]。 1市9郡
歴史
古代
中世
冷戦時代
アメリカ同時多発テロ事件以降
行政区分パルヴァーン州の郡
Charikar(チャーリーカール[4]) - 州都チャーリーカール
Bagram(バグラーム郡[4])- バグラーム空軍基地