パルメニデス
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プラトンの対話篇については「パルメニデス (対話篇)」をご覧ください。
Parmenid?s(アテナイの学堂

パルメニデス(古希: Παρμεν?δη?, Parmenid?s, パルメニデース、紀元前520年頃?紀元前450年[1])は、古代ギリシア哲学者南イタリアの都市エレア出身で、論理哲学的・超越思想的な学派であるエレア派の始祖。初期のギリシア哲学において、もっとも深遠で難解な思想家で、また逆説的であるとともに、自然学や形而上学の発展に決定的な影響を与えたとされる。

思想の内容については、現代でも非常に基本的な点についてすら解釈が分かれる。例えば、彼の形而上学の主題は「ある(ト・エオン)」で、これは「存在する」を意味するという見解が多いが、「?である」と叙述の意味に取る見解もある。その他、一元論者であったのか、仮にそうだとして、どのような意味に於いて一元論を展開したのかなど、論点は多岐にわたる。後世の影響の性質についても、思想の解釈に応じて異なった見解がある。

アナクシマンドロスの弟子クセノパネスに学んだとも、ピュタゴラス学派のアメイニアス(Ameinias)に師事したとも伝えられる。名門の家柄であり、祖国エレアのために法律を制定したともいわれる。クセノパネス等にならって、詩の形で哲学を説いている。著作としては、教訓詩『自然について』(: Περ? Φ?σεω?, ペリ・ピュセオース)のみが断片として現存する[2]
『自然について』

『自然について』(: Περ? Φ?σεω?, ペリ・ピュセオース)は現存するただ一つの著作で、彼の思索をヘクサメトロスという形式の韻文でまとめたものである。このタイトルは、彼自身が名づけたのではないと思われる。元来はおそらく800行ほどあったと思われるが、現在は断片のみが残る。長短さまざま(短いものは一語のみ)な断片をかきあつめると、160行程度の分量になる。

詩はまず、女神の邸宅に招かれる筋立ての、神話的な導入部で始まる。ここで、本作の主題と主題へのアプローチが表明される。続いて、「ある(ト・エオン, τ? ??ν, to eon)」を主題にした形而上学的な議論があり、以上の「信頼できる言説」の後、それを引き継ぐ形で、Fr.VIII 50 から「光(天の火)」と「夜」の二元素論による宇宙論が展開されている。

形而上学的な部分については、セクストス・エンペイリコスシンプリキオスがのまとまった引用について、かなり窺い知ることができるが、最後の宇宙論的な部分については、ほとんど残っていない。ただ、他の古代の著者の言及から、当時哲学や自然学で好んで扱われた諸問題を、ほぼ網羅していたことが察せられる。
解釈

彼の思想については、非常に基本的な部分において、すでに解釈が分かれている[3]

『自然について』の形而上学部分の主題は、「ある(ト・エオン, τ? ??ν, to eon)」と「あらぬ(ト・メー・エオン)」であるが、「ある」を「存在する」とする解釈のほかに、「?である(叙述)」を意味するとの見解もある。いずれにせよ、、知覚可能な物理現象を抽象化した「アルケー」や「幾何学的対象」を考察してきたそれまでの哲学者たちとは異なり、一段深く、存在、叙述、理性や経験などの性質や関係などを考察の対象にした。彼はしばしば、形而上学の創始者の一人に数えられる。

断片8によれば、「ある」は以下の性質を持つ。

「ある」は時間を超えて不生不滅、不動であって、「一挙にすべて、一つのもの、つながり合うもの」で「分かつことができない」「すべてが一様」で、「ここにより多くあったり、「全体があるもので満ち」ている。

一方、「あらぬ」については、「無があることは不可能(断片6)」「あらぬものを知ることもできなければ “語ることもできないから(断片2)」などとされ、存在もせず、認識され得ず、探求不可能とされる。

そして、断片4や7おいて、

「現前してはいないけれども知性には現前しているものをしっかりと見よ」

「また汝が多くの経験に支えられた習慣にしいられてこの道を行きながら。もの見分けえぬ眼と鳴りさわぐ耳と舌とを働かせることのないように。 汝はただ理(ロゴス)によってこそ私によって語られた異論多き論駁を判定せねばならぬ。」

とあるように、経験に対して理(ロゴス)を重んじる傾向がある。

以下に主要な解釈を列挙する。

第一の解釈は、厳格な存在論的な一元論とするもので、上記を自然学的な主張だと解釈する。つまり、「ある」は不生不滅で運動も変化もしない、この世にただ一の存在物である。イオニアの自然学においては、例えばタレスの「水」を唯一つのアルケーとするなど、一元論的な理論が盛んであった。この一元論を徹底的に推し進めたのがパルメニデスだということになる。

第二の解釈は, Fr. IIIの「思惟することと「ある」ことは同じであるから」に着目し、ラッセルの「記述の理論」などを参考に、詩の内容を自然学というよりは存在の形而上学として解釈する。

第三の解釈では、詩文の中の「ある」を存在を意味するのではなく、叙述「?である」を意味すると解釈する。この解釈の下では、断片のFr.VIII 50の直前までは事物の本質的な叙述のあり方を述べたものということになる。

一般的な解説では、上記の第一の解釈に絞った説明が多い。


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