パルム・ドール(仏: Palme d'Or、Golden Palmae。「黄金の椰子」)は、カンヌ国際映画祭(1946年 - )における最高賞である。
日本の作品では、『地獄門』(衣笠貞之助監督)、『影武者』(黒澤明監督)、『楢山節考』『うなぎ』(それぞれ今村昌平監督)、『万引き家族』(是枝裕和監督)の5作品が受賞している。 1939年から1954年までは最高賞を「グランプリ」(Grand Prix du Festival International du Film)としていたが、1955年にトロフィーの形にちなんだ「パルム・ドール」(黄金のシュロ、デザインはジャン・コクトー)を正式名称とし、「グランプリ」とも呼ばれる形とした。 1964年に最高賞の正式名称を「グランプリ」に戻すが[1]、1975年に再度「パルム・ドール」とした[2]。 長らくカンヌにおいては「グランプリ」とは最高賞の正式名称もしくは別名であったが、1990年からは審査員特別賞(Grand Prix Special du Jury)に「グランプリ」の名が与えられることになった。こちらは最高賞ではないので注意が必要である。 2015年、パルム・ドールが制定されてから60周年を迎えたことを記念してアレクシス・ヴェレル 2018年の第71回カンヌ国際映画祭では、パルムドールを超越する賞として例外的に「スペシャル・パルム・ドール」が授与された。受賞作はジャン=リュック・ゴダール監督の『イメージの本』である。 パルムドールの最多受賞記録は現在2回であり、それを達成した監督は、 の9組である。 パルム・ドールを受賞した女性監督はジェーン・カンピオンとジュリア・デュクルノーの2人だけであり、金熊賞、金獅子賞の4人に比べ少ない。 パルム・ドール受賞作は他の賞を受賞できないという決まりがある。そのため2013年には『アデル、ブルーは熱い色』での演技を表彰する目的で、監督アブデラティフ・ケシシュに加え、主演のアデル・エグザルホプロスとレア・セドゥにもパルム・ドールが贈られた。これは審査委員長スティーヴン・スピルバーグの計らいによるものであり、史上初のことである。 開催年題名 開催年題名
変遷
スペシャル・パルム・ドール
受賞記録
アルフ・シェーベルイ (スウェーデン、1946年『もだえ』、1951年『令嬢ジュリー』)
フランシス・フォード・コッポラ (アメリカ、1974年『カンバセーション…盗聴…』、1979年『地獄の黙示録』)
今村昌平 (日本、1983年『楢山節考』、1997年『うなぎ』)
エミール・クストリッツァ (セルビア、1985年『パパは、出張中!』、1995年『アンダーグラウンド』)
ビレ・アウグスト(デンマーク、1988年『ペレ』、1992年『愛の風景』)
ダルデンヌ兄弟(ベルギー、1999年『ロゼッタ』、2005年『ある子供』)
ミヒャエル・ハネケ(オーストリア、2009年『白いリボン』、2012年『愛、アムール』 )
ケン・ローチ(イギリス、2006年『麦の穂をゆらす風』、2016年『わたしは、ダニエル・ブレイク』 )
リューベン・オストルンド(スウェーデン、2017年『ザ・スクエア 思いやりの聖域』、2022年『逆転のトライアングル』)
1930年代
原題監督製作国
1939年大平原
Union Pacificセシル・B・デミル アメリカ合衆国
1940年代
原題監督製作国
1946年もだえ
Iris och lojtnantshjartaアルフ・シェーベルイ スウェーデン
失われた週末
The Lost Weekendビリー・ワイルダー アメリカ合衆国
地球は赤くなる
De rode engeボディル・イプセン
ラウ・ラウリッツェン デンマーク
下層都市
Neecha Nagar(???? ???)チェタン・アナンド インド
逢びき
Brief Encounterデヴィッド・リーン イギリス
マリア・カンデラリア
Maria Candelaria (Xochimilco)エミリオ・フェルナンデス メキシコ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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