パルチザン・ベオグラード
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FKパルティザン

原語表記Фудбалски клуб Партизан
Fudbalski klub Partizan
愛称Парни ва?ак / Parni valjak (蒸気ローラー)
Црно-бели / Crno-beli (黒と白)
Гробари / Grobari (墓掘り人)
クラブカラー黒・白
創設年1945年
所属リーグセルビア・スーペルリーガ
所属ディビジョン1部
ホームタウンベオグラード
ホームスタジアム
スタディオン・パルティザン
収容人数32,710[1]
監督 アルベルト・ナジ
公式サイト ⇒公式サイト

ホームカラーアウェイカラーサードカラー

テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

パルチザン・ベオグラード(英語: Partizan Belgrade)またはフドバルスキ・クルブ・パルティザン(セルビア語: Фудбалски клуб Партизан, セルビア語発音: [fudbalski? klu?b part?za?n], セルビア・クロアチア語: Fudbalski klub Partizan)は、セルビアベオグラードをホームタウンとするサッカークラブである。総合スポーツクラブJSDパルティザンの一部でもある(バスケットボール部門はKKパルティザン)。
概要

1945年創設。2018-19シーズン終了時点でリーグ優勝は27回、カップ優勝は11回を数え、旧ユーゴスラビア時代から2013年現在まで、同じくベオグラードを本拠地とするレッドスター・ベオグラードとともにセルビアを代表するクラブである。ユーゴスラビア解体後のセルビア・スーペルリーガセルビア・モンテネグロ時代を含む)では、2018-19シーズン終了時までこの2クラブ以外のクラブが優勝したことは1度もなく、完全な2強状態となっている。1992年からは国内リーグで11回優勝し、レッドスターの優勝回数(5回)を大きく上回る。

セルビア・スルプスカ・リーガFKテレオプティクは実質的なリザーブチームとなっており、多くの若手選手がここからパルチザンへ移籍している。グロバリ・ユグ

サポーターはパルティザノヴァツ(セルビア語: Партизановац, セルビア・クロアチア語: Partizanovac)と、ウルトラスは「南の墓掘り人」を意味するグロバリ・ユグ(セルビア語: Гробари ?уг, セルビア・クロアチア語: Grobari jug)と呼ばれる[2]。レッドスターとのヴェチティ・デルビは特に盛り上がりを見せ、時に乱闘騒ぎに発展することもある[3]スタディオン・パルティザンは古くはスタディオンJNAと呼ばれ、現在も通称として用いられる。レッドスターの本拠地スタディオン・ライコ・ミティッチとは、直線距離にして約1キロメートルほどしか離れていない。
歴史

1945年10月4日に創設[4]。当初、クラブはユーゴスラビア人民軍 (JNA) の傘下に置かれ、スタジアムもJNAの名を用いていたが、1950年代前半にクラブは軍部から独立した。創設当初は青と赤のユニフォームを着用していたが、1958年にJSDパルティザン会長に就任した[5]後のクロアチア大統領フラニョ・トゥジマンユヴェントスFCを参考にし現在の黒と白のユニフォームに変更した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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