パリ大賞典
Grand Prix de Paris
2012年パリ大賞典
競馬場パリロンシャン競馬場
創設1863年
距離芝2400m
格付けG1
賞金1着賞金342,840ユーロ
賞金総額60万ユーロ
出走条件サラブレッド3歳牡馬・牝馬
負担重量牡馬58kg、牝馬1.5kg減
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パリ大賞典 (パリだいしょうてん、Grand Prix de Paris) はフランス・パリロンシャン競馬場で芝2400メートルで施行する競馬の競走。パリ大賞と表記されることもある。 フランスに初めて設けられた、当時としては唯一の国際競走で、フランスとイギリスの一流の3歳馬の対決の舞台として1863年に創設された。この時代はフランスとイギリスがしばしば戦火を交えていた時代で、競馬に関してはイギリスに遅れを取っていたフランスにとって、パリ大賞典は仇敵イギリスと対決してこれを破る格好の舞台だった。 フランスではクラシック競走の一つとみなされて、国内最高の権威と賞金を誇っていた。 第二次世界大戦が終わると、後発の凱旋門賞が賞金や権威の面で上回るようになり、ヨーロッパの3歳馬の大レースとしてもアイルランドダービーと競合するようになった。 長い間3000メートル級の競走として行われてきたが、1980年代後半から幾度か距離の見直しが図られ、2012年の時点では2400メートルで行われている。 フランス人にとって、中世以来絶え間なく続いてきたイギリスに対する戦争の延長線にあった。ひと目で分かる英国人たちが我が物顔に群衆の中を歩き回り、顔を紅潮させ、すでに勝ち誇っていた。昨年はリーディング卿の持馬であるブラマが大賞を獲得したのだった。その敗北は人々の心にまだ傷を残していた。今年フランスが再び負けるのであれば、災厄でしかなかった。 ? 『ナナ』第10章より[1] 出走馬年齢条件は3歳限定で繁殖能力の選定の為に行われるので、せん馬の出走はできない。 距離や競馬場の変遷については沿革及び歴代優勝馬を参照。 フランスで近代的な競馬が始まったのは19世紀の初頭である。フランス革命後の1804年に即位したナポレオン1世は、ブルボン朝時代から王侯貴族の余興として散発的に行われてきた競馬[2]を、軍馬育成の手段として国策に適うように体系づけた[3][4]。 このとき、パリにはシャン・ド・マルス競馬場が開かれ(シャン・ド・マルスには後年、エッフェル塔が築かれた。)、フランス中の名馬を集めて開催される「グランプリ(Grand Prix)」が創設された。これらの競馬の主目的はフランス産馬の資質向上にあったが、反面、娯楽性には乏しいものであり、創設の意図はほとんど果たされないまま、ナポレオンはワーテルローでイギリスに敗れて失脚し、競馬は一時中断した[5][6]。ルイ18世の王政復古によって1819年には再び競馬が開催されるようになった。ナポレオン時代からの行政の馬産・競馬統制は続いたが、巨額の資金を投じた上に失敗に終わった[3]。 1830年の七月革命によって即位したルイ・フィリップ王も競馬を愛した。フィリップ王のもとで、イギリス出自のヘンリー・シーモア=コンウェイ卿はフランス馬種改良奨励協会(Societe d'Encouragement)とジョッキークラブを組織した。
概要
対イギリス戦としての意義
条件
歴史
沿革
1863年 : フランス最初の国際レースとして創設
1871年 : 普仏戦争により中止
1915年 : 第一次世界大戦により中止
1916年 : 前年同様に中止
1940年 : 第二次世界大戦によりオートゥイユ競馬場で代替開催
1943年 : 第二次世界大戦によりル・トランブレー競馬場で代替開催(3100メートル)
1944年 : 前年同様に代替開催
1964年 : 施行距離を3100メートルに延長
1971年 : グループ制導入に伴いグループ1に格付け
1978年 : 施行距離が3000メートルに戻る
1987年 : 施行距離を3000メートルから2000メートルに短縮
2005年 :
施行距離を2000メートルから2400メートルに延長
この年から施行日を7月14日(フランス革命記念日)に固定(2013年・2014年・2020年を除く)
2016年 : ロンシャン競馬場の改修工事のため、この年と翌年の2年間サンクルー競馬場で施行
2018年 : 改修・改称されたパリロンシャン競馬場での施行が再開される。
2020年 : 新型コロナウイルス感染拡大の影響で9月に順延開催。
フランス近代競馬の興り
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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