パラマタ
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パラマタ
Parramartta

パラマタのチャーチ・ストリート
座標 : 南緯33度48分54秒 東経151度00分04秒 / 南緯33.81500度 東経151.00111度 / -33.81500; 151.00111
歴史
入植1788年
旧名クレセント
ローズヒル
創設者アーサー・フィリップ
行政
オーストラリア
  ニューサウスウェールズ州
 カンバーランド郡[1]
 市パラマタ
地理
面積 
  市域61 km2
人口
人口(2011年現在)
  市域166,858[2]
    人口密度  2,735人/km2
  備考[3]
その他
等時帯UTC+10
夏時間UTC+11
公式ウェブサイト : ⇒http://www.parracity.nsw.gov.au/

パラマタ(Parramatta、[?par??mat?])は、オーストラリアシドニー西部郊外(25km)にある都市である。ポート・ジャクソン湾に注ぐパラマタ河岸に多くの行政・商業施設がある。
目次

1 歴史

1.1 アボリジニ文化

1.2 ヨーロッパ人入植

1.3 遺産


2 商業地区

2.1 市政府センター

2.2 パラマタ・スクウェア


3 病院

4 交通

4.1 鉄道

4.2 フェリー

4.3 道路

4.4 バス


5 礼拝堂

6 教育機関

6.1 公立学校 (Public School)

6.2 私立学校 (Private School)

6.3 高等教育機関


7 公園

7.1 パラマタ・パーク

7.2 パラマタ湖


8 文化

9 スポーツ

10 人口統計

11 著名人物

12 気候

13 脚注

14 関連項目

15 外部リンク

歴史
アボリジニ文化

川や森によって肥沃な土地が形成されていた後にパラマタと呼ばれる土地には、アボリジニの一部族であるダルグ人(英語版)が長きにわたって生活していた。彼らは自分たちの住む土地を、「水源」を意味するバラマダ (Baramada) もしくは「ウナギ (eels)が生息する土地」を意味するバラマタ (Burramatta) という名で呼んでいた。これが後の「パラマタ」の名称のもととなる[4][1][5]。パラマタはポート・ジャクソン湾海水とパラマタ川(英語版)の淡水の合流地点となる汽水域であり、今日に至るまでウナギを初めとして多くの魚介類が獲れる。特にウナギはパラマタの名産品となっており、街のラグビーリーグクラブであるパラマタ・イールズ(英語版)のシンボルにも採用されている。
ヨーロッパ人入植 1812年のパラマタの様子

1788年にパラマタがヨーロッパ人によってシドニーと同時に発見された。シドニー・コーヴ(英語版)への最初の入港者となったイギリス人入植者の艦隊は、乗船していた受刑者によって構成される兵士や士官を養うのに十分な食料や燃料がシドニー・コーヴにはないと判断した。1788年、総督のアーサー・フィリップはより広大で肥沃な土地を発見するために、パラマタを発見する前に幾つかの箇所について偵察を行った[6]。パラマタはパラマタ川沿いにおける航行可能な地点の中では最も内陸にあり、パラマタ川の河口にあり農地に適していた。

1788年11月2日の日曜日に、フィリップ総督は測量を行なっていた彼の艦隊から離れてボートで川を遡上し、川の蛇行により防衛地点として適切な丘 (現在のパラマタ・パーク)を見つけ、その場所をクレセント (Crescent)と名付けた。植民地が発展すると、フィリップ総督は"ローズヒル"と改名した(現在でもパラマタの郊外の地名にこの名前は使用されている)。1791年にフィリップ総督は、土地に住み着いていたアボリジニの人々が使用していた土地を指す言葉に近い「パラマタ」という地名へと再度改名した。

食糧危機の対策として、フィリップは1789年、ジェームズ・ルースと言う名の受刑者にパラマタのエクスペリメント・ファームと言う土地を与えた。ルースはエクスペリメント・ファームにおいて農場を経営し、オーストラリアで穀物作りを行った最初の人物となった。1790年代にはエリザベス・ファームにおけるオーストラリアの製糸工場の先駆者となったジョン・マッカーサーがパラマタを拠点としていた。

アーサー・フィリップ総督はクレセントの丘に自身の小さな家を建設した。1799年により大きな建物へと建て替えられ、さらに1815年から1818年まで総督を務めたラックラン・マッコーリーによって増築された。1820年代の短い期間ブリスベン総督の宿舎となった他は1850年代まで静養先として用いられており、現代までその面影を残している。パラマタ旧州政府官舎は現在パラマタ・パーク内の記念館とともに歴史的な建造物に指定されており、オーストラリアで最も古い公共建築物となっている[7]

1803年に、パラマタでイングランド出身のジョセフ・サミュエルという犯罪者による不思議な出来事があった。サミュエルは殺人罪により有罪判決を受け、絞首刑が言い渡されていたが、絞首刑用のロープはほどけてしまった。二度目の絞首刑執行の際にも結び縄は首から抜け落ち、ほどけてしまった。フィリップ総督はサミュエルを呼び出し、彼に起こった不思議な出来事について尋ねた。
遺産 パラマタ旧州政府官舎

パラマタにはオーストラリアの国家遺産に指定されている建築物が多数存在する。エリザベス・ファーム・ハウス, エクスペリメント・ファーム・コテージ、ランサー・バラックス、パラマタ・タウンホール、チャーチ・ストリートにある旧郵便局、百周年記念時計、レノックス橋、聖ヨハネ大聖堂, 聖ヨハネ墓地[8]、聖パトリック大聖堂、エリザベス・ストリートにある教区立学校、アーサー・フィリップ・ハイスクール[9]、マーズデン・ストリートにあるブリスリントン、ハッサール・ストリートにあるハンブルドン・コテージ[10]、旧キングス・スクール・グループ、北パラマタにあるローマ・カトリック教会墓地、パラマタ精神医学センター (カンバーランド病院)、パラマタ旧州政府官舎を含むパラマタ・パーク、オールセインツ・チャーチ・グループである[11]

パラマタ刑務所はオーストラリアで最も古い刑務所である。パラマタ刑務所は1842年1月2日に正式に運用が開始され、1910年まで運用されていた。この旧刑務所は1918年から1922年の間および1997年から1998年の短い期間において閉鎖されている。オコンネル・ストリートにあるこの旧刑務所は現在ではパラマタ更生施設として知られており、短期間の勾留施設として機能している[12]。この刑務所はネディ・スミスを含む数々の悪名高き囚人たちを収容してきた[13]

パラマタのウールパック・ホテルは1796年に開業したオーストラリア最古のパブがあると主張している[14]
商業地区 パラマタの風景


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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