パラパラ
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この項目では、ダンスの一種について記述しています。「パラパラ」の語義については、ウィクショナリーの「ぱらぱら」の項目をご覧ください。

パラパラは、1980年代半ばに日本で発祥したダンスの一種である。上半身はを動かす一定の振り付け(以下、パーツと称する)の組み合わせ、下半身は2ステップと称される左右移動で構成される特徴がある。主にユーロビートなどのダンスミュージックを音楽として、ディスコクラブといった場所を中心に踊られている。パラパラを披露する人(2009年)
概要
特徴

曲毎に異なる振り付けを覚えて、主にディスコやクラブで集団で踊ることが多い。ダンスというよりも1980年代頃の日本のポップス・アイドル歌手が歌いながら行っていた「振り」に近く、見るものには「軽め」の印象を与え、手・腕の振りを中心とする点は、応援団(団長)の動作に似ている部分がある。また、盆踊りとの類似性・関連性を指摘する説もある。一部のパラパラDVDの商品紹介では、盆踊りの文化をもつ国民性にあったダンスとの記述もある[1]
動作

上半身と下半身が分離しており、一定の単純な動作を繰り返すことにより振り付けが成立することを特徴とする。上半身は、2拍から8拍程度で構成される腕や手を中心とする動作(これをパーツと呼ぶことが多い)を組み合わせて構成される。一方下半身は、原則として2ステップと呼ばれる左右移動を繰り返すことで構成される。パーツは、パラパラの動作を構成する最低限の要素である。

主な例を下に示す。個々のパーツには名前がつけられていることが多いが、これらはパラパラを踊る人々の間で慣習的に呼ばれているものであり、定義が与えられているものではない。
流し
右手(左手)を、腕を斜め左(右)前位置から、2拍あるいは4拍で斜め右(左)前位置にまっすぐに移動させる。
右(左)開き
右手(左手)を、1拍で肩より右(左)側に開く。
YOU
右手(左手)を、腕を斜め左(右)前位置から、2拍あるいは4拍で斜め右(左)前位置にまっすぐに移動させる。
ベイビー
右手を右上、左手を左下に構え、1拍で前後させる動作を通常2度続けて行う。右手の高さを頭より高く、左手は腰の高さ程度にする。左右の手の幅は1 
m程度と広く取るのが格好良いとされるが、30 cm程度と小さい動作のダンサーも多く存在する。パラパラの曲で歌詞にbaby、babeと歌われているほとんどの部分で使用される最頻出パーツのひとつである。関根勤の持ち技である同名のギャグBabyが元になっている。
シェー
右手を正面頭上、左手をヘソの上辺りに構えて、両腕をアルファベットのSの形にする。1拍の場合はこれで完成。2拍の場合は左右の手を入れ替えて、逆Sの字にする。歌詞で「Shame on you」「Shake it up」など、シェイと聞こえる場所にて使用される。おそ松くんのイヤミのポーズ「シェー」から生まれたパーツであるが、パラパラでは元ネタとは違い左右が逆となっており、なおかつ右腕が直線的に伸びずにSの形に近いことが特徴である。

これらのパーツを曲調や歌詞に基づき組み合わせることにより、1曲毎に対する振り付けが構成される。パーツは一定単位で左右対称に組み合わせられることが多く、曲の構成単位(イントロ・Aメロ・Bメロ・サビ)内で完結する。

このパーツを一曲内にどのように組み合わせるかにより、難易度が決まる。曲中のパーツの数を減らし単純な構成にすることで簡単な振り付けを作ることができる一方、パーツの数を増やして繰り返しを減らしたり、順序を複雑にしたりすることにより、難しい振り付けを作ることもできる。
音楽

パラパラはユーロビートを踊ることを目的として作られる振り付けであったが、J-POPなどの他ジャンルに対しても振りが作られることがあった。第3次ブーム以降はこの傾向が顕著であり、ユーロビートにとどまらず、トランステクノポップスなどの他ジャンルの楽曲に対しても振りが作られることが多くなった。

特に、トランステクノに対してつけられるパラパラは、それぞれトラパラ、テクパラと呼ばれており、クラブやディスコなどではあくまでもユーロビートを流す時間に飛び道具的に用いられていたかつてのJ-POPへの振り付けとは異なり、パラパラに対応する1ジャンルとして存在している。

そのため今日では、単にパラパラといった場合、

ダンスの1ジャンル(トラパラ・テクパラなどの派生型を統合する概念)

ユーロビートにつく振り付けの1ジャンル(トラパラ・テクパラと並列する概念)

の、2つの意味のいずれかを表す。
発生と歴史

明治学院大学では一年次の体育の授業で、腕をシンクロさせない体操を覚えさせられる。1980年にそれを当時の法学部法律学科二年生の大学生が、何気なくツバキハウスで踊っていたところ大受けし、周囲に広まったのが発祥。当時は、サタデーナイトフィーバーや、ソウルトレイン系のダンスが中心で、腕を振るダンスが斬新で目立った[要出典]。
1986年 - 1990年 : 第1次ブーム

1986年頃から、新宿のビル「東亜会館」の中にある、客層のほとんどを中高生が占めるディスコ数店舗で、曲に合わせて手の振りで踊る「パラパラ」と呼ばれる踊りが流行り出した。これは東亜会館のディスコならではの踊りであり、東京都内の他のほとんどのディスコでは店の雰囲気にそぐわないとしてパラパラを禁止にしていた。もし東亜会館以外のディスコでパラパラをした場合は、高確率で「パラパラはやめて下さい」等とDJからマイクを使って注意された。それでもパラパラを止めない者は、店員によってダンスフロアからつまみ出され、場合によっては店への出入り禁止という最悪の処分を受ける事もあった。

このパラパラは手話に似た動きをすることから一部で「手話パラ」とも呼ばれたりしていた。

東亜会館のディスコでパラパラで踊られた曲名 / アーティストは一部ではあるが、下記に記載する。

■Pistol In My Pocket / Lana Pellay

■Dance Your Love Away / Michael Prince

■Something In My House / Dead Or Alive

■Boom Boom / Paul Lekakis

■Whisper To A Scream / Bobby O

■Play Boy / David Lyme

■The American Dream / The Big Smoke

■Tonight / Ken Laszio

尚、同時期に名古屋地域のディスコでは、星の子と呼ばれる手の振りの踊りが存在し、雛壇型のお立ち台などを占拠して踊る光景が見られた。また、一部では、さらにオーバーアクションの風の子という振り付けも存在していた。

1988年に東亜会館の中のひとつのディスコが、店名を変更した後、しばらくしてパラパラ禁止に方針変換。こうした理由もあり東亜会館のパラパラは徐々に衰退していくことになる。

1980年代後半(バブル時代)に大人が楽しめる高級ディスコとして当時としては画期的な青山「King&Queen」やマハラジャ麻布十番店など、いわゆるNOVA21系の高級ディスコにおける女性客の集客を主業務とする従業員である「黒服」と常連女性客の間で、パラパラが広まった。当時のパラパラはレコード会社によるパラ振りビデオは存在せず、各店の黒服や常連が作っていたため店によって振りが違い、黒服に教えて貰うか通って見て覚えるしかなかった。

楽曲的には、当時イギリスなどで流行していたデッド・オア・アライヴカイリー・ミノーグリック・アストリーバナナラマ、シニータなど、いわゆるPWL(ストック・エイトキン・ウォーターマンプロデュース)サウンドが中心で、パラパラは当時のバブルの徒花・黒服の芸だった。
1991年 - 1994年 : ジュリアナ東京の開店とブームの低迷

1990年バブル崩壊後、1991年5月日商岩井が、ジョン・ロビンソンをDJに据え、芝浦ベイサイドの倉庫を改装して数千人収容の巨大ディスコジュリアナ東京」を開店。すると、一般客の多くはそちらに流れてしまった。露出度の高いボディコンハードコアテクノに合わせ、お立ち台扇子を振って踊るといったいわゆるジュリアナブームが訪れ、ユーロビートの人気が全国的に衰える。

しかし一部の層は青山「King&Queen」、マハラジャ麻布十番店などで引き続きパラパラを楽しんでいた。
1994年 - 1998年 : 第2次ブーム

1994年8月ジュリアナ東京閉店に伴いマハラジャ等に客が戻り、第二次ユーロブームを迎えた。この時代も基本的には一次と同じで、パラパラは基本的にディスコの女性客集客道具だった。一時はエイベックス主催の東京ドームイベントがパラパラ愛好者で満員になるほど盛り上がりを見せ、地下鉄の六本木駅構内で女の子同士でパラパラを教えあう光景が普通に見られる程となった。しかし、下記のような変化が現われはじめていた。
エイベックスによる新曲統一パラビデオ『パラパラ教典』シリーズの出現などにより、パラパラの習得のためにビデオ動画によって自宅で覚える方法が一般化し、振り付けも複雑化した。

ディスコ雑誌「Heaven's Door」が発行され、各店の常連の写真や新曲の振り付け紹介が掲載された。

しかし、欧米では1990年以降、テクノが開花し、クラブの時代に入っていた。日本でも1994年頃から、テクノやハウス関西ではレゲエを掛けるクラブが隆盛するようになった。代わりに、コスプレ系のパーティーでパラパラが流行する現象があった。また、横浜大黒埠頭違法競走型暴走族の人達によるパラパライベントが行われるようになった。


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