パラディオン
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

「パラディウム」はこの項目へ転送されています。金属元素については「パラジウム」を、靴のブランドについては「パラディウム (靴)」をご覧ください。
ニーケーローマ神話ウィクトーリア)がトロイアーのパラディオンを安置した柱にからまっている蛇に卵を与えているところを描いた大理石レリーフヘレニズム期のものを紀元1世紀後半のローマで複製したもの。

パラディオン(古希: Παλλ?διον, palladion, ラテン語: palladium)とは、ギリシア神話ローマ神話において、都市の安全を守るとされた非常に古いである。ラテン語ではパラディウム。ギリシア神話では特にオデュッセウスディオメーデーストロイアー城塞から盗んだアテーナーの木彫神像(英語版)を指す。この像は後にアイネイアースローマとなる地に持ち去った。ローマに関わる伝説は、ウェルギリウス叙事詩アエネーイス』や他の作品と関連している。
トロイアーのパラディオン
起源

トロイアーのパラディオンはトリートーンの娘パラスの木像とされている。パラスは古代ギリシアではアテーナーローマ神話ミネルウァ)によると比定されるが、本来の神話では別人である。この像はイーリオス(トロイアー)の建設者イーロスが城壁を築いたばかりの頃[1]、イーロスがゼウスに祈りを捧げると、それに応えて天空から落ちてきたという[2]

RuckとStaplesは「アテーナーの最古の守護像であり…不思議な発見物であり、女神が擬人化され人間のような外見が与えられるようになる以前は、顔のない柱が地面に立っているだけだった」と記している[3]

神話によれば、この像はアテーナーがパラスを殺してしまった自責の念から、彼女の姿を刻んで作ったとされている[2]
トロイアーへの到着の経緯

パラディオンがトロイアーに出現した話は都市の創設神話の一部として紀元前7世紀以降ギリシア人が様々に参照している。アトラースの娘エーレクトラーは、トロイアー王家の祖先ダルダノスサモトラケー島の秘教の租イーアシオーンの母であり、そのためパラディオンとサモトラケー島の秘教とが結び付けられている[4]。ゼウスがエーレクトラーと交わった際に像をイーリオスの方に投げたという説や[2]、エーレクトラー自身が像を持ち去り、ダルダノスに与えたとする説などがある[5]。イーリオスの王イーロスは火事になった神殿でその像を守ろうとしてそれに触り、盲目になった[6]
盗難オデュッセウスとディオメーデースがパラディオンを盗む場面を描いたアプーリア赤絵式オイコノエ。前360年から前350年頃。レッジョ・ディ・カラブリア出土。

トロイア戦争時、トロイアーにおけるパラディオンの重要性はプリアモスの息子で予言者ヘレノスからギリシア人たちに明かされていたと言われている。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:22 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef