パラセル諸島
[Wikipedia|▼Menu]

西沙諸島 (パラセル諸島)

地理
場所南シナ海
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯16度30分 東経112度00分 / 北緯16.500度 東経112.000度 / 16.500; 112.000座標: 北緯16度30分 東経112度00分 / 北緯16.500度 東経112.000度 / 16.500; 112.000
島数16
主要な島ウッディー島北島?航島金銀島
東島中建島
最高峰石島
行政
中華人民共和国 (実効支配)
海南省
中華民国
直轄市高雄市
 ベトナム
中央直轄市ダナン
テンプレートを表示

西沙諸島
中国語
繁体字 西沙羣島 / 西沙群島
簡体字 西沙群?

発音記号
標準中国語
漢語?音X?sh? Qund?o
粤語
粤?sai1saa1 kwan4dou2

ベトナム語
クオック・グーQu?n ??o Hoang Sa
チュノム群島?沙

西沙諸島(せいさしょとう、:西沙群?)、パラセル諸島(:Paracel Islands)または、ホアンサ諸島[1]ベトナム語:Qu?n ??o Hoang Sa / .mw-parser-output .vi-nom{font-family:"Nom Na Tong","Han-Nom Gothic","Han-Nom Ming","HAN NOM A","HAN NOM B","TH-Khaai-TP0","TH-Khaai-TP2","TH-Khaai-PP0","TH-Khaai-PP2","TH-Sung-PP0","TH-Ming-JP0","TH-Ming-JP2","TH-Sung-PP2","TH-Sung-TP0","TH-Sung-TP2","TH-Sy-P0","TH-Sy-P2","Ming-Lt-HKSCS-UNI-H","Ming-Lt-HKSCS-ExtB","FZKaiT-Extended","FZKaiT-Extended(SIP)","FZKaiS-Extended","FZKaiS-Extended(SIP)","Sun-ExtA","Sun-ExtB","MingLiU","MingLiU-ExtB","MingLiU_HKSCS","MingLiU_HKSCS-ExtB","SimSun","SimSun-ExtB",sans-serif}.mw-parser-output .vi-nom .ext{font-family:"Han-Nom Gothic","Han-Nom Ming","Han-Nom Minh","TH-Khaai-TP2","TH-Khaai-PP2","TH-Ming-JP2","TH-Sung-PP2","TH-Sung-TP2","TH-Sy-P0","TH-Sy-P2","Sun-ExtB","MingLiU HKSCS-ExtB","Ming-Lt-HKSCS-ExtB","HanaMinB","Han-Nom Kai",sans-serif}群島?沙)は、ベトナムの東約240キロメートル、中華人民共和国海南島の南東約300キロメートルに位置し、50近いサンゴ礁の島と岩礁で構成されている[2]。全ての島嶼を中華人民共和国が実効支配しているが[3][4]ベトナム台湾中華民国)も領有権を主張している[5]

2016年7月12日オランダハーグ常設仲裁裁判所は、いわゆる九段線に囲まれた南シナ海の地域について中華人民共和国が主張してきた歴史的権利について、「国際法上の法的根拠がなく、国際法に違反する」とする判断を下した。詳細は「南シナ海判決」を参照
概要

西沙諸島は、東北部のアンフィトリテ諸島英語: Amphitrite Group、中国語: 宣コ環礁)と西南部のクレスセント諸島英語: Crescent Group、中国語: 永樂環礁)の2つに大きく分けられる[2]

1907年西沢吉治が東沙諸島に移住し、日本と清国に領土紛争が起こると、周辺の島嶼にも同様の累が及ぶことを恐れた両広総督の張人駿は、副将の呉敬栄をして西沙諸島の開発をさせることとし、1909年3月に西沙群島籌?処を設置して、上陸調査を行っている[6]。この調査には数十人が派遣されたが、悪天候のため3日間で3島を調査するのみにとどまった。また、燐鉱等の資源についても有用な調査結果は得られず[7]、籌?処は同年8月に廃止された[8]。その後、新たに成立した中華民国や、阮朝を保護国としたフランスが西沙諸島を領有する動きを見せたが、日本は1938年12月に西沙諸島の編入を閣議決定[8]。日本は敗戦までこの諸島を領有したが、1952年発効のサンフランシスコ講和条約により、日本は西沙諸島に関する権利、権原および請求権の放棄を国際社会に向けて明言し、その旨が中華民国との間で日華条約で承認された。

1954年第一次インドシナ戦争の終結に伴い、旧宗主国フランスが去って以後、1956年中華人民共和国中国人民解放軍は東のアンフィトリテ諸島を占領する[9]。また北緯17度以南に成立したベトナム共和国(南ベトナム)が西のクレスセント諸島の複数の島礁を占領する。そしてベトナム戦争(1965年 - 1975年)中の1974年1月、中国人民解放軍が西のクレスセント諸島に侵攻して南ベトナム軍を排除し、西沙諸島全体を占領した。この際、南ベトナムの護衛艦1隻が撃沈された(西沙諸島の戦い)。1974年1月19日に同軍によって占領され、その後南北ベトナムの統一がありベトナムに社会主義政権が成立したものの返還はされず、その後も同諸島は全て中華人民共和国の実効支配下にある。

小さな島々で構成され、民間人はほとんど居住していない。島そのものにほとんど価値はないが、中国が主張する領海や広大な排他的経済水域 (EEZ) 内において漁業など海洋資源が重視されているほか、軍事的要衝としての価値がある。近年、中華人民共和国がこの多くの島に港や施設を建設し、特に西沙諸島を含めた南海諸島最大の島であるウッディー島には、軍民両用の滑走路や映画館などの施設を建設し、実効支配を強めている。

2012年9月3日付人民日報(海外版)は、中華人民共和国国家海洋局が西沙諸島、スカボロー礁(黄岩島)と尖閣諸島の周辺海域を人工衛星や航空機で遠隔監視する「海域動態監視観測管理システム」の範囲内に組み込んだと報じた[10][11]

2013年5月中華民国総統であった李登輝は「(中国は)周辺国への内政や領土干渉を繰り返すことによって、自分たちの力を誇示しているのである。こうした中国の動きを説明するのに、私は『成金』という言葉をよく使う。経済力を背景に、ベトナムから西沙諸島を奪い、南沙諸島フィリピンが領有していた地域に手を出し、そして日本領土である尖閣諸島の領海、領空侵犯を繰り返す中国は、札束の力で威張り散らす浅ましい『成金』の姿そのものである」と中国を批判している[12]

2016年1月30日に、アメリカ海軍横須賀基地所属イージス駆逐艦カーティス・ウィルバー」を派遣し、トリトン島(中建島)から12海里(約22km)内を航行させたことをアメリカ国防総省が明らかにした。南シナ海での航行の自由を行動で示す作戦(「航行の自由」作戦、Freedom Of Navigation Operation)の一環で、前年10月の南沙諸島(スプラトリー諸島)での実施以来2度目であり、これに対して中華人民共和国外交部は批判する談話を発表した[13][14]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:68 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef