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B-29から吊り下げられたXF-85
パラサイト・ファイター(Parasite fighter)は、戦闘機を大型爆撃機などに搭載して戦域まで運び、戦域で発進させて護衛の用途に使用しようという構想のもとに、製造または改造された戦闘機である。寄生虫戦闘機、寄生戦闘機、親子戦闘機などとも呼ばれる。航続距離の短い戦闘機が航続距離の長い爆撃機を護衛するために検討された手法であり、何度か計画されたものの、空中給油が実用化されたことに伴い、この手法は大規模な実運用には至らなかった。 初期のパラサイト・ファイターとしては1918年にイギリス空軍が、ソッピース キャメルを軍用飛行船HMA23から発進させている。1925年にもR33とグロスター グリーブで実験された。その後、アメリカ海軍も飛行船(アクロンとメイコン)とF9C スパローホークで試験を行った。 最初にパラサイト・ファイターを運ぶ爆撃機の実験を行ったのは、ソ連の航空機設計家ヴラヂーミル・セルゲーエヴィチ・ヴァフミストローフで、1931年から試みられた。最終的なズヴェノーSPBでは、ツポレフTB-3によって5種類の戦闘機が運ばれることとなった。1941年には、TB-3がポリカールポフSPB(爆装したI-16)を運んでルーマニアのネグラ・ヴォダ橋の攻撃をするという実戦参加が行われた。 第二次世界大戦後期にドイツ空軍がMe328をパラサイト・ファイターとして実験したが実現しなかった。アラドE.381とゾンボルトSo344は計画だけで終わった。また、「ファイター」ではなく運ばれる子機自身が爆弾だが、V1飛行爆弾をHe111から空中発射させることもした。また、親子が逆転し、有人戦闘機と無人爆撃機を結合したミステルも実戦投入された。 日本では一式陸上攻撃機から発進させる桜花も広い意味での親子航空機であった。子機の桜花は自力で離陸する能力を持たなかったのと、航続距離が非常に限られていたためである。最初の作戦で15機が投入されたものの全機が母機もろとも撃墜されるなど、当たれば効果はあったものの期待に全く応えることなく、いたずらに犠牲を出すだけに終わった。 東西冷戦の初期アメリカ空軍も、コンベアB-36爆撃機の護衛のためにいろいろなパラサイト・ファイターを計画した。たとえば、XF-85ゴブリンを爆弾槽に搭載する方法やF-84サンダージェットを爆撃機の翼端にドッキングさせる方法(トムトム計画)である。これらの計画は試験のみで中止された。なお、偵察用のRF-84をB-36爆撃機の爆弾槽にとりつける「FICON計画」は、1955年から1957年にかけて配備が行われた。 パラサイト・ファイターは、上記したように一部で実戦配備されたものの、その後は廃れてしまった。廃れた原因としては、 などが挙げられる。
概要
軍事利用としての中止
大型な母機に、重量のある子機を搭載した状態では機動力が低下する。
一式陸攻と桜花がこの代表的な例。絶対的な制空権を握っていなければ、鈍重な母機は不意打ちに非常に弱い。
子機の大きさや重量に制限があること。
XF-85ゴブリンがこれにあたる。爆弾倉に入る大きさにしなければならなかったため機体が非常に小型になり、同時に戦闘機として必要な機動性も奪われた。
航空機の能力が上がり、航続距離が伸びたこと。
空中給油と空中給油機が発達したこと。
給油する装置さえ装備していれば、小型機・大型機にかかわらず給油を受けることができる。パラサイトするのでは母機子機ともに非常に制約を受ける。
母機とドッキングするとき、子機のパイロットに高い技術が求められる。
XF-85が母機と再ドッキングできず、エドワーズ空軍基地に不時着している。仮にドッキングを強行しようとしていたら、母機のB-36に衝突し、母機もろとも墜落していた危険もあった。
各種長距離ミサイルが実用化されたこと。
技術的困難を伴う再ドッキングが不要な使い捨て型の小型無人機とも言えるミサイルがあれば、スタンドオフ攻撃が可能となり、パラサイト・ファイターを使用する必要性がなくなる。
戦闘機以外のパラサイト機B-52の翼下に取り付けられるペガサスロケットと、その先端に搭載されるX-43