パラコート
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パラコート

一般情報
IUPAC名1,1'-ジメチル-4,4'-ビピリジニウムジクロリド
別名メチルビオローゲン、
パラクアット
分子式C12H14Cl2N2
分子量257.16
形状無臭の無色結晶または白色から黄色粉末(水溶液は暗赤色、特異臭)
CAS登録番号1910-42-5
性質
密度1.25 g/cm3, 固体
水への溶解度70 g/100 mL (20 ℃)
融点175–180 °C
沸点300 °C(分解)
出典ICSC[1]、環境省資料[2]

パラコート、またはパラクアット (Paraquat) とは、ビピリジニウム系に分類される、非選択型除草剤のひとつで、イギリスインペリアル・ケミカル・インダストリーズ (ICI) が開発した。

1882年に、オーストリアの化学者Hugo Weidelと彼の学生M. Russoは、4,4'-ビピリジンとヨウ化メチルを反応させることで、パラコートジヨージドとして初めて合成された。

パラコートの除草剤としての特性は、1955年にICIにより認識され、1962年初頭にグラモキソンという商品名で最初に ICIによって製造および販売された。

元々はメチルビオローゲン(methyl viologen)[3]という名前の酸化還元指示薬であり、パラコートは商標名であったが、今日では一般名として使われる。

パラコートは、掛かった葉や茎だけを枯らして、木や根は枯らさないため、水田の畦畔や斜面の法面を保持するうえで需要がある。即効性は強いが持続性はない。散布後はすぐに土壌に固着して不活性化するため、すぐに作物を植えることが出来ることや、安価で経済的という点から、広く用いられてきた。しかし、耐性を獲得し枯れにくい植物が出現する事が報告されている[4][5]。更に、耐性は遺伝する事が指摘されている[6]

活性酸素を発生させる力が強いため、活性酸素の研究に使われることもある。

日本では、パラコート原体がイギリスから輸入されて製剤化されているが、1999年平成11年)までは製造ライセンスを得て、日本で生産されていた。毒性が強く、自殺や他殺事件を数多く引き起こして問題になった農薬でもある。また非農耕地用として、農薬登録を受けずに販売された製剤もあったため、農林水産省はなるべく農薬登録する様に指導したことがあった。

パラコートの名前は、4級窒素のパラ位置に由来する。
構造

パラコートは、ベンゼン環の炭素原子を1つ窒素原子に置き換えたピリジン構造を有する。これが2個結合した化合物はビピリジン (bipyridine) と呼ばれる。ビピリジンには、窒素原子の位置により6種類の異性体があるが、パラコートは異性体のうち、4,4'-ビピリジンの窒素原子上をメチル化した、ピリジニウム塩(アンモニウム塩)である。正電荷を持つビピリジン部位は、すぐに土に強く結合する性質を持つため、長期間に渡り残留するが、結合すると同時に毒性を失う特性がある。

類似の化合物として、ジクワット、シペルクワット(MPP+。1-メチル-4-フェニルピリジニウム。CAS登録番号39794-99-5。日本未登録)、エチルパラコート(1,1'-ジエチル-4,4'-ビピリジニウム塩。エチルビオロゲン。CAS登録番号46713-38-6)等がある。一部のフウセンタケ科毒キノコの毒成分である、オレラニン(3,3',4,4'-テトラヒドロキシ-2,2'-ビピリジン-1,1'-ジオキシド)も、類似の構造を有する。

パラコート単体と、対イオンが異なる塩が3種類合成されているが、日本では、二塩化物とメチル硫酸塩が除草剤として製剤化された。二塩化物の農薬登録は、1965年(昭和40年)3月16日。1978年(昭和53年)10月31日登録のメチル硫酸塩は、1984年(昭和59年)10月31日に登録失効している。

1,1'-ジメチル-4,4'-ビピリジニウム=ジクロリド(二塩化物。パラコートジクロリド CAS登録番号1910-42-5)

1,1'-ジメチル-4,4'-ビピリジニウム(パラコート単体。CAS登録番号4685-14-7)

1,1'-ジメチル-4,4'-ビピリジニウム=ジヨージド(二ヨウ化物。パラコートジヨージド CAS登録番号1983-60-4)

1,1'-ジメチル-4,4'-ビピリジニウム=ジメチルサルフェート(メチル硫酸塩、2-メタンスルホン酸塩。メト硫酸パラコート・パラコートメチル硫酸・パラコートビス・パラコートジメチルサルフェート CAS登録番号2074-50-2)

合成方法

ピリジンアンモニア中の金属ナトリウムで処理することにより、カップリングされ、酸化することによって4,4'-ビピリジンを得る。次いで塩化メチルまたは硫酸ジメチルでジメチル化してパラコート塩を得る。

Hugo Weidelの最初の合成では、メチル化剤にヨウ化メチルを使用して二ヨウ化物を生成した。

形状は白色結晶で、ハイドロサルファイトなどの還元剤で還元すると、ラジカルとなり青色を呈する。このため、ハイドロサルファイトはパラコート中毒の簡易診断に利用される[7]

酸化還元指示薬としては、生物学や光触媒反応の試薬として使用される[8]。ビオロゲン誘導体は、エレクトロクロミック表示材料としての応用も検討されている。
製剤

パラコートジクロリド24%、或いはパラコートジメチルサルフェート38%という高濃度の液剤で販売されていたが、1985年(昭和60年)に自殺無差別殺人事件による中毒事故が多発したため、1986年(昭和61年)7月からパラコートジクロリド5%、ジクワットジブロミド7%の混合除草剤液『プリグロックスL』のみが、シンジェンタから販売されている[9]

パラコート製剤は青い色素で着色されている。1982年9月以前の製剤は着色されていない茶褐色のものであり、この時期の製剤による中毒事故も報告されているので注意を要する[10]

日本では、パラコートジヨージドは除草剤として使われたことはこれまでのところない。液剤を青に着色したり、強い臭気を付けたり、催吐薬を加えたり、苦味を加えたりする処置も行われた。日本ではラベルに大きく「医薬用外毒物」と赤地に白抜き文字で目立つように書かれ、厳格な流通管理と販売記録がなされ、購入の際には印鑑が必要で、18歳以下の購入が出来ない規制がある。アメリカ合衆国などでは、ドクロマークのピクトグラム入りで、さらに注意を促している。

ヨーロッパの一部では、安全のため5%の粒剤で販売されている。日本でも1985年に試作されたことがあったが、生産には至らなかった。
作用機序

パラコートは、細胞内に入ると NADPH などから電子を奪ってパラコートラジカルとなる。パラコートラジカルが酸化されて元のパラコートイオンに戻る際に活性酸素が生じ、細胞内のタンパク質や DNA を破壊し、植物を枯死させる。パラコートは、触媒的に何度もこの反応を繰り返し起こすので、少量でも強い毒性を示す。NADPH は動物体内にもあるため、同様の反応を起こす。パラコートは、に能動的に蓄積する性質があるため、大量摂取すると間質性肺炎肺線維症が起こる。
毒性

パラコート及びパラコート塩、それらを含む製剤は、毒物及び劇物取締法における毒物である。

当初は実験データにより、毒劇法の「劇物」であったが、薬物中毒死者が多発するため、1978年に「毒物」に指定替えされた。

サルモネラ菌変異原性ありとの報告がある[11]他、神戸大学の研究者はパラコート自殺した人のリンパ球細胞を培養して、染色体異常が生じることを報告した[12]

ヒトに対しては致死性が高く解毒剤もないため、中毒死者が多い。服毒自殺やドリンク剤への混入事件が多発し、社会問題化した1985年には、中毒死者が1,021人に達し、当時売られていたパラコートジクロリド24%液剤のものなら、盃1杯(約12mL)飲めば半数致死量で、一口(約40mL)飲めば確実に死亡する。大量服毒したときは、呼吸循環不全によるショック状態に陥り、24時間以内に死亡に至る。

農林水産省の指導により、1980年7月に催吐剤、1982年9月に青い色素で着色した製剤、1985年2月に着臭剤、1986年6月に苦味をつけた製剤が登録されたが、自殺による中毒死者を減らす効果は少なく、1996年から1999年の4年間における中毒死者は、ジクワットとの混合製剤で825名、パラコート単製剤で304名であり、農薬中毒者の40%近くを占めていた。

中毒事故の大部分は、自他殺や誤飲によるものであるが、散布中の経気・経皮中毒の事例も報告されている。24%製剤をマスク着用せずに庭木に散布中に吸入し、1か月後に死亡した事例(1997年)や、散布中に噴霧器のタンクから漏れだして背中皮膚を濡らしていることに気づかず、中毒事故に至った例、長年ハウス内で24%製剤をマスクを着用せずに散布を続けた専業農家の男性が肝臓、腎臓障害を発症し2ヶ月後に呼吸不全で死亡した例[13]、24%製剤原液が入った洗面器の中に尻餅をついた人が、臀部広範囲に水疱形成を伴う皮膚炎を起こし、1週間後に呼吸不全で死亡した事例がある。


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