パム・シュライバー
Pam Shriver
基本情報
フルネームPamela Howard Shriver
国籍 アメリカ合衆国
出身地同・メリーランド州ボルチモア
生年月日 (1962-07-04) 1962年7月4日(61歳)
身長183cm
体重72kg
利き手右
バックハンド片手打ち
殿堂入り2002年
ツアー経歴
デビュー年1978年
引退年1997年
ツアー通算132勝
シングルス21勝
ダブルス111勝
生涯通算成績1247勝392敗
シングルス625勝270敗
ダブルス622勝122敗
生涯獲得賞金5,460,566 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪ベスト4(1981-83)
全仏3回戦(1983)
全英ベスト4(1981・87・88)
全米準優勝(1978)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪優勝(1982-85・87-89)
全仏優勝(1984・85・87・88)
全英優勝(1981-84・86)
全米優勝(1983・84・86・87・91)
優勝回数21(豪7・仏4・英5・米5)
キャリア自己最高ランキング
シングルス3位
ダブルス1位
獲得メダル
女子 テニス
オリンピック
金1988 ソウルダブルス
■テンプレート ■プロジェクト テニス
テニスのラケット。シュライバーは打球面の大きい「デカラケ」を使用した時期がある
パメラ・ハワード・シュライバー(Pamela "Pam" Howard Shriver、1962年7月4日 - )は、アメリカ・メリーランド州ボルチモア出身の元女子プロテニス選手。1978年の全米オープン女子シングルス準優勝者で、ダブルスの名手として一時代を築いた名選手である。WTAツアーでシングルス21勝、ダブルス111勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス3位、ダブルス1位。 1978年の全米オープンにて、16歳2ヶ月の若さでシングルス決勝進出を果たす。そこでクリス・エバートに 5-7, 4-6 で敗れて準優勝になったが、この時シュライバーは打球面の面積が広いテニスラケットを使用して大きな話題を呼んだ。この影響で「デカラケ」が一般テニス愛好家にも大流行し、国際テニス連盟(ITF)もテニスラケットのサイズに関する厳密な規定を設けた。シュライバー自身は4大大会のシングルス決勝進出はこの1度だけで終わったが、その後ダブルスで目覚ましい活躍を見せる。プレースタイルは、長身から繰り出す威力あるサーブとネットプレーを得意とし、ストローク戦ではフォアハンドすらトップスピンの強打は皆無で隙あらばネットに詰めていく典型的なネットプレイヤー(彼女ほど極端なスタイルも珍しい)。 1981年から1992年まで、シュライバーはマルチナ・ナブラチロワとペアを組み、天下無敵のダブルスとして女子テニス界に君臨した。2人のペアは4大大会ダブルスで「20勝」を挙げ、1983年のウィンブルドンから1985年の全仏オープンまで8大会連続優勝を飾り、1983年 - 1985年にかけて「109連勝」の記録を樹立する。前人未到の大記録は、1985年のウィンブルドン女子ダブルス決勝で止まった。シュライバー自身は1991年の全米オープンで4大大会ダブルス「21勝」を挙げたが、この時のパートナーはナターシャ・ズベレワ(ベラルーシ)であった。 1988年のソウル五輪で、シュライバーはジーナ・ガリソンとペアを組み、アメリカ代表として女子ダブルスの金メダルを獲得した。オリンピックにおけるテニス競技は、1926年に世界初のプロテニス選手が登場したことから、1928年のアムステルダム五輪以後は公式種目から除外された。このソウル五輪でプロテニス選手の出場が認められ、1924年パリ五輪以来64年ぶりにオリンピック競技としてのテニスが復活する。オリンピックはアマチュアの祭典である、という基本理念を覆す決定がなされたため、当時は大きな波紋を呼んだ出来事だった。その記念すべき大会で、シュライバーとガリソンは決勝でチェコスロバキア代表のヘレナ・スコバ&ヤナ・ノボトナ組を 4-6, 6-2, 10-8 の激戦の末に破り、テニス女子ダブルス「復活金メダル」の第1号ペアとなった。シングルスでは、シュライバーは準々決勝でガリソンに 2-6, 3-6 で敗れた。 シュライバーは混合ダブルスでも、1987年の全仏オープンでエミリオ・サンチェス(スペイン)と組んだ優勝がある。 シングルスでは1988年に日本の「東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント」を含む4勝を挙げたが、同年10月にスイスで行われた「ヨーロッパ室内選手権」がシュライバーの最後のシングルス優勝になった。
選手経歴