パブロ・サンドバル
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パブロ・サンドバル
Pablo Sandovalスタテンアイランド・フェリーホークス
アトランタ・ブレーブス時代
(2021年4月7日)
基本情報
国籍 ベネズエラ
出身地カラボボ州プエルト・カベージョ(英語版)
生年月日 (1986-08-11) 1986年8月11日(37歳)
身長
体重5' 11" =約180.3 cm
268 lb =約121.6 kg
選手情報
投球・打席右投両打
ポジション三塁手一塁手
プロ入り2003年 アマチュアFA
初出場2008年8月14日
年俸$1,000,000 (2021年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


セント・エストゥデイオ高等学校

サンフランシスコ・ジャイアンツ (2008 - 2014)

ボストン・レッドソックス (2015 - 2017)

サンフランシスコ・ジャイアンツ (2017 - 2020)

アトランタ・ブレーブス (2020 - 2021)

モンクローバ・スティーラーズ (2022)

タバスコ・キャトルメン (2022)

スタテンアイランド・フェリーホークス (2024 - )

国際大会
代表チーム ベネズエラ代表
WBC2013年
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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

パブロ・エミリオ・フアン・ペドロ・サンドバル・ジュニア(Pablo Emilio Juan Pedro Sandoval Jr. , 1986年8月11日 - )は、ベネズエラカラボボ州プエルト・カベージョ(英語版)出身のプロ野球選手内野手)。右投両打。アメリカ独立リーグアトランティックリーグスタテンアイランド・フェリーホークス所属。

愛称は、ジャイアンツのチームメイトのバリー・ジトに名づけられた "カンフー・パンダ(Kung Fu Panda)[1][2]
経歴
プロ入り前

家族全員が野球好きという家庭に生まれ、野球を始めたのは4歳のとき[3]。学校から帰宅しては、自宅のガレージで4つ年上の兄マイケルの投球を打ち返して遊ぶ日々を送る[4]。当時憧れていた選手はオマー・ビスケルアンドレス・ガララーガだった[3]。その後、兄マイケルはミネソタ・ツインズと契約しプロ入り。一方のサンドバルも14歳のころにはプロのスカウト達から注目を集める存在になっていた。ドミニカ共和国でのトーナメントに参加した際にはテキサス・レンジャーズのスカウトから入団契約を持ちかけられたが、その後レンジャーズ側からは何の連絡もなかった[4]
プロ入りとジャイアンツ時代

2003年5月8日にアマチュア・フリーエージェントでサンフランシスコ・ジャイアンツと契約してプロ入り。

2004年にルーキー級アリゾナリーグ・ジャイアンツでプロデビュー。捕手として46試合に出場して打率.266、26打点、4盗塁を記録した。

2005年から三塁に転向。A-級セイラムカイザー・ボルケーノズ(英語版)でプレーし、75試合に出場して打率.330、3本塁打、50打点、2盗塁を記録した。

2006年は三塁のほか、一塁手としての起用が増えた。この年はA級オーガスタ・グリーンジャケッツ(英語版)でプレーし、117試合に出場して打率.265、1本塁打、49打点、3盗塁を記録した。

2007年は三塁手としての起用はなく、一塁と捕手を兼任した。この年はA+級サンノゼ・ジャイアンツ(英語版)でプレーし、102試合に出場して打率.287、11本塁打、52打点、3盗塁を記録した。ジャイアンツ時代(2010年)

2008年はA+級サンノゼでプレーし、68試合に出場して打率.359・12本塁打・59打点・2盗塁の成績を残した。6月にAA級コネチカット・ディフェンダーズに昇格し、44試合に出場。打率.337・8本塁打・37打点と活躍し、8月13日にジャイアンツとメジャー契約を結んだ[5]。翌日の8月14日のヒューストン・アストロズ戦でメジャーデビュー。デビュー戦は「5番・捕手」として先発出場し、3打数で安打こそ出なかったが1打点を挙げた[6]。メジャー初安打は2日後のアトランタ・ブレーブス戦で、第1打席にマイク・ハンプトンから二塁内野安打を放つと、この日は3安打を記録している[7]。以降、9月28日のシーズン最終戦までメジャーに残って41試合に出場し、打率.345、3本塁打、24打点という成績を残した。

2009年は、主に三塁手として153試合に出場。フルシーズン1年目ながらジャイアンツ打線の中軸に座り、首位打者争いでハンリー・ラミレスに次ぐ2位となったほか、25本塁打を記録した。ジャイアンツはポストシーズン進出こそ逃したものの88勝74敗で5年ぶりの勝ち越しとなり、サンドバルはチームについて「若手とベテランが一体になってシーズン最後までそれを争えたのは良かった」、自身について「10点満点!」と振り返った[3]

2010年は開幕戦に「3番・三塁手」として出場し、4月の1ヶ月間で打率.368と前年以上の成績を挙げる。この頃からジャイアンツの地元カリフォルニア州サンフランシスコでは、サンドバルの愛称からパンダの広告やグッズが目立つようになった[8]。しかしその後は成績が下降し、6月終了時では打率.274まで落ち込んだ。同月28日のロサンゼルス・ドジャース戦では2点ビハインドの9回裏一死一・三塁と、本塁打が出れば逆転サヨナラ勝利となる好機で打順が回ってきたが、チームは新人のバスター・ポージー代打で起用しサンドバルをベンチへ下げている[9][10]。後半戦も調子は上向かず、そのままレギュラーシーズンが終了。ジャイアンツはナショナルリーグ西地区を制し7年ぶりにポストシーズン進出を果たしたが、サンドバルはリーグ最多の26併殺打を喫するなど不振にあえいだ。ポストシーズンでチームは、ブレーブスとの地区シリーズを3勝1敗で、フィリーズとのリーグ優勝決定戦を4勝2敗で、そしてレンジャーズとのワールドシリーズを4勝1敗で制し、56年ぶり6度目の世界一に到達。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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