パブリック・エナミー
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この項目では、ヒップホップ・グループのパブリック・エナミーについて説明しています。その他のパブリック・エナミーについては「パブリック・エナミー (曖昧さ回避)」をご覧ください。

パブリック・エナミー

基本情報
出身地ニューヨーク
ジャンルヒップホップ
ラップロック
活動期間1982?present
レーベルデフ・ジャム
コロンビア・レコード
ソニー・ミュージックエンタテインメント
共同作業者アンスラックス
アイス・キューブ
公式サイト ⇒www.publicenemy.com

メンバーチャックD
フレイヴァー・フレイヴ
プロフェッサー・グリフ
DJロード
Khari Wynn
S1W

旧メンバーターミネーターX
Sister Souljah

パブリック・エナミー(Public Enemy、 PEとしても知られる)は、ニューヨークのロングアイランド出身の社会派ヒップホップ・グループである。政府などの権威を批判する歌詞や、アメリカの政治・社会問題に言及することでも知られている。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において、第44位にランクされた。
歴史

1982年チャックDフリースタイルリック・ルービンに見いだされ、その頃はまだ形成期にあったデフ・ジャム所属のグループとしてPEは結成された[1][2]

1987年、デビューアルバム、『YO! BUM ラッシュ・ザ・ショウ』を発表した。さらに1988年、シングル"Don't Believe the Hype"を含む2ndアルバム、『パブリック・エナミーII - It Takes a Nation of Millions to Hold Us Back』を発表し、前作より好調なアルバム・チャート・アクションを獲得した。またPEは「ザ・グラント」「ブロウ・ユア・ヘッド」などJBsの曲を元ネタに使用している[3]

彼らはさらに、1990年に3rdアルバム、『ブラック・プラネット - Fear of a Black Planet』をリリース。このアルバムは、2008年現在、彼らのアルバムの中で最も売れたアルバムであり、アメリカ国会図書館の重要保存録音物として永久保存されている。収録されているシングル曲には、救急車が黒人地区においては、白人地区よりも遅く到着することを批判した"911 is a Joke"や、PE自身のことを歌ったと考えられている"Fight the Power"がある。この曲はスパイク・リーが監督した映画、『ドゥ・ザ・ライト・シング』のテーマ曲でもあった。

パブリック・エナミーはニュースクール・ラップのルーツだった。例えばターミネーターXは、"Rebel Without A Pause"で聴くことができるように、スクラッチをより洗練されたテクニックに昇華させたし、プロデューサーユニットのThe Bomb Squadは斬新なサンプリングやビートを提示した。批評家のスティーブン・トーマスは「(PEは)プロデューサーチームのthe Bomb Squadを通じてフリー・ジャズやハードファンク、さらにはミュジーク・コンクレートの要素さえも取り込んで、前例のないようなぎっしりとした凶暴なサウンドを作り上げた」と評した。また、ラップの面においても、PEは政治的・社会的あるいは文化的な意識を、歌詞にのせた。

PEは、世界ツアーを敢行した最初のラップグループでもあり、その結果、ヨーロッパやアジアのヒップホップ・コミュニティーの中で大きな人気と影響力を持つようになった。また、アルバムをMP3フォーマットで(この形式がほとんど知られていなかった頃に)リリースした最初のミュージシャンであり、インターネット経由の音楽配信の可能性を切り開いた。

1991年、PEはニューヨークのスラッシュメタルバンド、アンスラックスとの競演によって、メタルとヒップホップを融合させた。このコラボレーションによって、ラップとロックの融合が進んだ。また、人種が異なる2つのグループは共同ツアーも行った。フレイヴァー・フレイヴは、「奴らはこのツアーが実現することはないだろうと言ったんだ」(アンスラックスのアルバム『Live: The Island Years』で確認可能)と発言した。

パブリック・エナミーが結成される前、チャックDは当時働いていたラジオ局WBAUの宣伝と、彼にバトルを挑んできたラッパーを受け流すためのテープを作った。彼は地元のシーンの人々に虐げられているように感じていたので、そのテープをパブリック・エナミー #1と名づけた。これが、チャックDの曲の中において「パブリック・エナミー」についての最初の言及である。このシングルは、PE結成前にもかかわらず、ファレイヴァー・フレイヴの協力を得て制作されている。

人気は落ちたが、PEはパフォーマンスや創作を続けている。ターミネーターXは早めの引退をして、アトランタ出身のDJロードがグループのメインDJになった。チャックDとプロフェッサー・グリフはファンク・ロックバンドConfrontation Campのメンバーでもある。チャックDの講義「ラップ、人種、現実と技術」は彼が参加しているグループFine Arts MilitiaのアルバムWe Are Gathered Hereの歌詞のもとになった。

2004年にフレイヴァー・フレイヴはリアリティショーThe Surreal LifeとStrange Loveに出演したが、彼の描写はファンやほかのバンドメンバーの間で大きな議論の的になった。多くのファンやチャックD自身がフレイヴァーの子供たちや前妻に対する不当な行動についておおっぴらに批判した。

フレイヴァーは、イギリスのリアリティショーThe Farmにも出演し、現在はen:VH1の番組Flavor of Loveに出演 している。奇妙なことだが、(おそらく、すべての種類の音楽に対するリスペクトの証として)PEは結局のところ中止になったハードコアヘヴィメタルのロックフェスヘルフェスト'05に出演しBetween the Buried and Me、Ed Gein、From a Second Story Window、Ion Dissonance、Pig Destroyer、Suffocationらと共演する予定だった。

2005年の9月にフレイヴァーはPEに戻り、ハリケーン・カトリーナに対する政治的な(特にブッシュ政権の)問題を批判したHell No We Ain't All Rightを録音した。2006年年頭には、Parisによってプロデュースされた15曲を含む最新作Rebirth of a Nationがリリースされた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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