パドヴァ
Padova
行政
国 イタリア
州 ヴェネト
県/大都市 パドヴァ
CAP(郵便番号)35100
市外局番049
ISTATコード028060
識別コードG224
分離集落#行政区画参照
隣接コムーネ#隣接コムーネ参照
公式サイト ⇒リンク
人口
人口207112 人 (2023-01-01 [1])
人口密度2,230.6 人/km2
文化
住民の呼称padovaniまたはpatavini
守護聖人パドヴァの聖アントーニオ (Sant'Antonio di Padova
パドヴァ(伊: Padova ( 音声ファイル))は、イタリア共和国ヴェネト州にある都市で、その周辺地域を含む人口約21万人の基礎自治体(コムーネ)。パドヴァ県の県都。経済・通信のハブ地である。
パドヴァ市の人口はヴェネト州で第3位である。ヴェネツィアなどを含むパドヴァ=ヴェネツィア都市圏の人口はおよそ160万人である。 標準イタリア語以外では以下の名称を持つ。 日本語文献では「パドヴァ」のほか「パドバ」「パードヴァ」などと表記されるほか、ヴェネツィア語名称に由来する「パドア」、英語名称に由来する「パドゥア」も用いられる。 パドヴァはバッキリョーネ川の畔にあり、ヴィチェンツァから東南東へ31km、州都ヴェネツィアから西へ34km、ロヴィーゴから北へ38kmの距離にある[4]。 隣接コムーネは以下の通り。括弧内のVEはヴェネツィア県所属を示す。 かつてパドヴァ市内を流れていたブレンタ川は、今も市の北部地区をかすって流れていく。農業はヴェネツィア平野で行われている。パドヴァの南西には、マルクス・アンナエウス・ルカヌス、マルティアリス、ペトラルカ、ウーゴ・フォスコロ、パーシー・ビッシュ・シェリーらが讃えたエウガネイ丘陵が広がる。 広いコムーネ広場から通じる、アーケードのある通りの密集したネットワーク、そしてかつては古い城壁の周囲を堀のように囲んでいたバッキリョーネ川 パドヴァにおけるイタリアの気候分類 (it パドヴァは北イタリア最古の都市であると主張している。伝承によれば、少なくともウェルギリウスの『アエネイス』に書かれた時代からあったといい、自身が繁栄した中世コムーネ時代に証拠が再発見された。それによると、トロヤ王子アンテノール(?ντ?νωρ)によって紀元前1183年にパドヴァはつくられた。アンテノポスは、パフラゴニア
名称
ヴェネト語: Padoa
英語: Padua [?padju?, ?pad?u?]
地理パドヴァ県概略図
位置・広がり
隣接コムーネ
アーバノ・テルメ
アルビニャーゼゴ
カドーネゲ
レニャーロ
リーメナ
ノヴェンタ・パドヴァーナ
ポンテ・サン・ニコロ
ルバーノ
サオナーラ
セルヴァッツァーノ・デントロ
ヴィゴダルツェレ
ヴィゴノーヴォ (VE)
ヴィゴンツァ
ヴィッラフランカ・パドヴァーナ
地勢
気候分類・地震分類
歴史アルティナーテ門ウンベルト1世通り
古代
共和政ローマからパタウィウム(Patavium)として知られていたパドヴァには、アドリア・ヴェネティ人が住んでいた。彼らはウマの飼育とヒツジからとる羊毛で知られていた。アドリア・ヴェネティ人の男たちはカンナエでローマ人と戦った。パタウィウムは紀元前45年からローマのムニキピウムとなった。パタウィウムは、すぐに無数の戦闘要員を集められるほど強力であった。近郊にあるアーバノは、歴史家リウィウスの生誕地とされている。パドヴァではガイウス・ウァレリウス・フラックス、アスコニウス・ペディアヌス(英語版)、プブリウス・パエトゥスが生まれた。
パドヴァ地域をキリスト教化したのは聖プロスドキムス(英語版)であったとされる。彼はパドヴァ初代司教として深く敬われた。