パトリック・ラフター
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パトリック・ラフター
Patrick Rafter


パトリック・ラフター
基本情報
フルネームPatrick Michael Rafter
愛称Pat (パット)
国籍 オーストラリア
出身地同・クイーンズランド州マウント・アイザ
生年月日 (1972-12-28) 1972年12月28日(51歳)
身長185cm
体重86kg
利き手右
バックハンド片手打ち
殿堂入り2006年
ツアー経歴
デビュー年1991年
引退年2001年(2004年、2014年一時復帰)
ツアー通算21勝
シングルス11勝
ダブルス10勝
生涯通算成績572勝301敗
シングルス358勝191敗
ダブルス214勝110敗
生涯獲得賞金$11,127,058
4大大会最高成績・シングルス
全豪ベスト4(2001)
全仏ベスト4(1997)
全英準優勝(2000・01)
全米優勝(1997・98)
優勝回数2(米2)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪優勝(1999)
全仏ベスト4(1998)
全英ベスト4(1996・98)
全米ベスト4(1996)
優勝回数1(豪1)
国別対抗戦最高成績
デビス杯優勝(1999)
キャリア自己最高ランキング
シングルス1位(1999年7月26日)
ダブルス6位(1999年2月1日)
■テンプレート  ■プロジェクト テニス

パトリック・マイケル・ラフター(Patrick Michael Rafter, 1972年12月28日 - )は、オーストラリアクイーンズランド州マウント・アイザ出身の元男子プロテニス選手。1997年1998年全米オープン男子シングルスで大会2連覇を達成した選手である。ATPツアーで全米オープン2勝を含むシングルス11勝、ダブルス10勝を挙げた。身長185cm、体重86kg。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。
選手経歴

ラフターは9人兄弟の7番目の子供として生まれ、1991年に19歳でプロ入りした。1994年から男子テニス国別対抗戦デビスカップオーストラリア代表選手になる。彼は遅咲きの選手で、現役生活の後半にこそ「世界最高のサーブ・アンド・ボレーヤー」として名実ともにオーストラリアの第一人者となった。

1997年全米オープン初優勝は、彼のATPツアー2勝目であった。その決勝ではグレグ・ルーゼドスキーを6-3, 6-2, 4-6, 7-5で破った。オーストラリア人テニス選手の4大大会男子シングルス優勝は、1987年ウィンブルドン選手権優勝のパット・キャッシュ以来10年ぶりの快挙であった。これを皮切りに、ラフターは世界トップ選手としての活躍を始める。

1998年全米オープン決勝で、ラフターは4歳年下の後輩選手マーク・フィリプーシスとのオーストラリア対決を6-3, 3-6, 6-2, 6-0で制して大会2連覇を達成した。かつてラフターとフィリプーシスは1996年ウィンブルドン選手権男子ダブルスと1996年全米オープン男子ダブルスのベスト4に進出したほどの親友だったが、ラフターの全米オープン優勝以後は仲違いをしている。

1999年7月26日付の世界ランキングでラフターは1位を記録した。しかし翌週陥落しラフターの1位はわずか1週間で終わった。3連覇を目指して臨んだ1999年全米オープン1回戦で、ラフターはセドリック・ピオリーンと対戦中に故障を起こし、6-4, 6-4, 3-6, 5-7, 0-1で途中棄権を余儀なくされた。2年連続優勝者が翌年の1回戦で敗退したこのアクシデントは全米オープン史上初の珍事として、「100年で初めての大波乱」と言われた。

ウィンブルドン選手権でのラフターは、2000年2001年の2年連続で準優勝がある。2000年の決勝戦ではピート・サンプラスに、2001年ゴラン・イワニセビッチに敗れた。その他の4大大会では、1997年全仏オープン2001年全豪オープンでベスト4進出があった。2001年全豪オープン準決勝では、対戦相手のアンドレ・アガシをセットカウント2-1と追い詰めながらも、左足に痙攣を起こして5-7, 6-2, 7-6, 2-6, 3-6の逆転負けに終わっている。通常なら棄権してもおかしくないところを、彼は最後までフルセットを戦い抜き、試合終了後は会場の地元ファンからスタンディングオベーションが贈られた。どんな時でも全力でぶつかる姿と、オージーに多いといわれる“アイアンマン”ぶりを発揮したその試合は、大会のベストマッチと称された。

ダブルスでのラフターは、1999年全豪オープンヨナス・ビョルクマンと組んだ優勝がある。1996年ウィンブルドン選手権全米オープンの2大会連続でマーク・フィリプーシスと組んで2大会連続のベスト4に進出していた。フィリプーシスと仲違いした後、ラフターはビョルクマンと組む機会が多くなり、1998年全仏オープン1998年ウィンブルドン選手権の2大会連続でベスト4に入る。そして1999年全豪オープン男子ダブルス決勝で、ラフターとビョルクマンはマヘシュ・ブパシ/リーンダー・パエス組を6-3, 4-6, 6-4, 6-7, 6-4で破って初優勝を決めた。

ラフターは現役生活の間、甘いマスクで「最もセクシーなプロ選手」と称され、高い人気を誇った。デビスカップ2001決勝対フランス戦ではシングルスでセバスチャン・グロジャンに6-3, 7-6(6), 7-5で勝利したが、通算2勝3敗でデビスカップオーストラリア代表は優勝を逃した。この試合を最後に現役引退を表明した。その後2004年全豪オープンでジョシュア・イーグル(英語版)と、また2014年全豪オープンにもレイトン・ヒューイットと組んでダブルスに出場したが、共に1回戦で敗退した。

2006年7月15日、ラフターはガブリエラ・サバティーニらとともに国際テニス殿堂入りを果たした。2011年から2015年までデビスカップオーストラリア代表監督を務めた。
ATPツアー決勝進出結果
シングルス: 25回 (11勝14敗)

大会グレード
グランドスラム (2-2)
テニス・マスターズ・カップ (0-0)
グランドスラムカップ (0?1)
ATPマスターズシリーズ (2-4)
ATPインターナショナルシリーズ・ゴールド (1-2)
ATPインターナショナルシリーズ (6?5)

サーフェス別タイトル
ハード (7?8)
クレー (0-2)
芝 (4-2)
カーペット (0-2)

結果No.決勝日大会サーフェス対戦相手スコア
準優勝1.1994年4月18日 香港ハード マイケル・チャン1-6, 3-6
優勝1.1994年6月20日 マンチェスター芝 ウェイン・フェレイラ7-6(7-5), 7-6(7-4)


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