パトリス・ルムンバ
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パトリス・ルムンバ
ブリュッセルで開催された円卓会議に出席するルムンバ(1960年1月26日)
生年月日 (1925-07-02) 1925年7月2日
出生地ベルギー領コンゴ
オナルア州カタコンベ
没年月日 (1961-01-17) 1961年1月17日(35歳没)
死没地カタンガ国
所属政党コンゴ国民運動
配偶者ポーリーン・ルムンバ
初代 コンゴ共和国首相
在任期間1960年6月24日 - 1960年9月14日
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パトリス・エメリィ・ルムンバ(Patrice Emery Lumumba、1925年7月2日 - 1961年1月17日)は、コンゴ共和国(旧ベルギー領コンゴ、後のコンゴ民主共和国)の政治家、民族運動家。同国独立期の指導者で初代首相目次

1 プロフィール

1.1 生い立ち

1.2 政界進出

1.3 初代首相

1.4 コンゴ動乱

1.5 殺害


2 関連項目

プロフィール
生い立ち

1925年7月2日に、ベルギー領コンゴのカサイ州北部オナリア村の農家に生まれる。プロテスタント系のウエンボ・ニヤマ学校で教育を受ける。学校を卒業後、郷里を出てキサンガニ(旧スタンリービル)の郵便局事務員として働いた。
政界進出

1958年10月10日、コンゴ国民運動(英語版)(MNC)を創設する。1958年11月23日ガーナアクラで開催された全アフリカ人民会議(英語版)(AAPC)にコンゴ国民運動を代表して参加した。1959年4月にコンゴ国民運動は、最初の全国大会をカナンガ(旧ルルワブール)で開催し、コンゴの早期独立を要求した。最初、コンゴ国民運動の地盤はキサンガニに限定されていたが、次第にカサイ、キブー、赤道諸州に勢力を拡大していった。ルムンバは、コンゴ国民運動の指導者として、部族間の紛争を防止し、コンゴ国民の一致団結とアフリカ諸国の独立運動に尽力していった。
初代首相

1960年にコンゴで総選挙が実施され、下院議員137名、上院議員84名が選出されることになった。コンゴ国民運動は、総選挙で勝利を収め、下院において40議席を獲得した。

ルムンバは、1960年6月24日に初代首相に就任し、同日にジョゼフ・カサブブが大統領に就任した。ルムンバ首相は、親ベルギー系のアバコ党(下部コンゴ国民同盟)およびコナカット党と連立内閣を組閣した。外相はアバコ党のジュスタン・マリ・ボンボコ、経済相にコナカット党のヤバがそれぞれ就任した。こうして1960年6月30日に正式にコンゴ民主共和国は独立した。
コンゴ動乱詳細は「コンゴ動乱」を参照

しかし、コンゴに駐留していたベルギー軍の挑発行為に対して、ルムンバがベルギー軍の撤退を要求した事から事態は急変した。7月8日、ベルギー軍は首相官邸を襲撃、7月9日キンシャサ国際空港を占領。さらにベルギー本国から空挺部隊が増援された。このような事態を受けて、ルムンバ首相は7月10日、ベルギーとの国交断絶を表明し、同時に国際連合とアフリカ諸国に対して援助を要請した。7月11日カタンガ州カタンガ国として独立することを宣言。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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