パトリシア・ハイスミス
[Wikipedia|▼Menu]

パトリシア・ハイスミス
Patricia Highsmith
1988年当時
誕生1921年1月19日
アメリカ合衆国 テキサス州 フォートワース
死没1995年2月4日
スイス ロカルノ
職業作家
ジャンルサスペンスミステリー
代表作『太陽がいっぱい』『殺意の迷宮』ほか
主な受賞歴フランス推理小説大賞CWA賞
デビュー作『見知らぬ乗客』
ウィキポータル 文学
テンプレートを表示

パトリシア・ハイスミス(Patricia Highsmith, 1921年1月19日 - 1995年2月4日)は、アメリカ合衆国出身の作家
生涯

テキサス州フォートワースに生まれ、スタンリー・ハイスミスの養女となりニューヨークで育つ。学生時代から、フョードル・ドストエフスキージョゼフ・コンラッドエドガー・アラン・ポーギ・ド・モーパッサンなどの作家を愛読した。バーナード・カレッジの在学中に短篇小説の執筆をはじめ、「ヒロイン」が雑誌『ハーパース・バザー』に掲載される。The Click of the Shutting という長篇小説も書いていたが、24歳の誕生日に破棄している[1]。自らレズビアン、ないし両性愛者だと述べている。

作家となる前には、コミックブックの脚本・編集を担当していた[2]

長篇の処女作『見知らぬ乗客』の発表前、百貨店のアルバイト中に見かけた女性にヒントを得て長篇を執筆。人妻と女性店員の恋愛を描いたこの物語は、クレア・モーガン名義で The Price of Salt として出版され、同性愛者の人気を呼び、百万部をこえるベストセラーとなった。『見知らぬ乗客』がヒッチコックにより映画化され、長篇第3作『太陽がいっぱい』もヒット映画となり、ハイスミスは人気作家となる。『太陽がいっぱい』の主人公「トム・リプリー」は後にシリーズ化された。

1963年からヨーロッパ各地に移住、以後はアメリカを舞台とする作品を執筆する際には、アメリカの友人から当地の風俗についての情報を集めていた[3]。1982年よりスイスで暮らし、1995年にティチーノ州ロカルノの病院で、肺がんにより死去。

2021年に『Her Diaries and Notebooks:1941-1995』が刊行。その日記により映画「パトリシア・ハイスミスに恋して」が制作された。
作品

主にサスペンスミステリーの分野で読者を獲得するが、ハイスミスは自作がそのように評価されることに不満を持っていた[4]グレアム・グリーンは、英雄的な主人公や合理的な展開とは異なる、不合理な展開や不安感をハイスミス作品の特徴としてあげている[5]

また、諷刺ブラック・ユーモアを含んだ多くの短篇も著している。カタツムリの観察を趣味とし、実際に何作品かでカタツムリを題材に取り上げた。

日本では映画「太陽がいっぱい」の原作者として知られながら、訳書は映画公開より10年以上遅れて刊行された。吉田健一がいち早く紹介したのを例外に、1980年代まで他の作品も短期で絶版となった。最晩年の1990年代に人気に火がつき、河出文庫扶桑社ミステリー文庫で未訳本が多く刊行され、ようやく全体像が理解された。
受賞歴

1955年 "The Talented Mr. Ripley"(『太陽がいっぱい』)でフランス推理小説大賞を受賞。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:29 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef