「パティ・スマイス」とは別人です。
パティ・スミス
Patti Smith
ドイツ ベルリン公演(2022年)
基本情報
出生名Patricia Lee Smith
署名
生誕 (1946-12-30) 1946年12月30日(77歳)
出身地 アメリカ合衆国
イリノイ州 シカゴ
ジャンルニューウェイブ
パンク・ロック
アート・ロック
職業ミュージシャン
シンガーソングライター
詩人
担当楽器ボーカル、ギター、クラリネット
活動期間1971年 - 現在
レーベルアリスタ・レコード
コロムビア・レコード
共同作業者パティ・スミス・グループ
公式サイト ⇒www.pattismith.net
メンバー (パティ・スミス・バンド)
パティ・スミス (Vo)
レニー・ケイ (G)
ジャクソン・スミス (G)
トニー・シャナハン (B)
ジェイ・ディ・ドゥーティー (Ds)
旧メンバーアイヴァン・クラール (B)
フレッド・スミス (G、夫)
ほか 別記参照
パティ・スミス(Patti Smith, 1946年12月30日 - )は、アメリカ合衆国出身の女性シンガーソングライター、ミュージシャン、詩人。
ニューヨーク・パンクシーンで台頭し、1970年代は「パティ・スミス・グループ」名義で活動、「クイーン・オブ・パンク(パンクの女王)」とも称された。早くから詩や文学の方面にも進出し、それらをテーマにした創作活動を展開している。
2007年『ロックの殿堂』入り。ローリング・ストーン誌選出『歴史上最も偉大な100人のシンガー』第83位[1]、同『歴史上最も偉大な100組のアーティスト』第47位、Q誌選出『歴史上最も偉大な100人のシンガー』第49位を記録[2]。
来歴デビュー当時のパティ (1976年10月)「National Book Critics Circle」にて (2011年3月)
[3]シカゴで生まれ、ニュージャージーで育った。15歳の頃ピスファクトリーで大学進学の費用を稼ぎながらアルチュール・ランボーやボブ・ディランを始めとするアーティストに強い憧れを抱き、当初はそうした人々の愛人となることを目指してニューヨークへ移住するが、ロバート・メイプルソープらとの交流によって、自身もアーティストの一員であることを自覚した。
1967年、21歳の時に女の子を出産するが、養子に出す。
1969年、ニューヨークに移住し、詩を書いたり演劇に出演したりするなどの芸術活動を始めた。その頃レニー・ケイと出会い、自身が舞台で詩を朗読し、そのバックでケイが音楽を演奏するスタイルで活動をし始める。1973年頃から、リチャード・ソールがキーボード(ピアノ)として加わる。その後、周囲の評価が高まり、インディーズ・シングルを発売したり、オムニバス作品に参加するようになる。そして1974年、ドラマーとしてジェイ・ディ・ドゥーティー、ベーシストとしてアイヴァン・クラールを迎え、5人組バンドとして本格的に活動を開始する[4]。
1975年に、29歳で発表したデビュー作『ホーセス』は、メイプルソープによるジャケット写真も話題となり、特に、ヴァン・モリソンを己の詩情を交えてパンキッシュにカバーした「グロリア」は、パンククラシックの一つとして知られている。1977年にはステージから落下する事故にあい約半年の入院と1年のリハビリ生活を余儀なくされた。1978年発表のサード・アルバム『イースター』からは、ブルース・スプリングスティーンと共作した「ビコーズ・ザ・ナイト」が、ビルボードのシングル・チャートで13位のヒットとなる。
その後、フレッド・スミス(元MC5)との結婚生活のため長くアーティスト活動から離れていたが、1988年に夫フレッドと共作した9年ぶりの5thアルバム『ドリーム・オブ・ライフ』発表。しかし1994年、フレッドが死去する。
1990年代後半から再びコンスタントに作品を発表するようになり、1997年1月に初来日公演が実現した。
2001年(2日目グリーン・ステージ)、2002年(1日目フィールド・オブ・ヘブン、2日目レッド・マーキー)と、2年連続でフジ・ロック・フェスティバルに出演。2003年7月には、赤坂BLITZなどで、単独公演による来日も果たした。