パット・トーピー
Pat Torpey
Mr. Big ブルガリア公演 (2011年6月)
基本情報
出生名Patrick Allan Torpey
生誕1953年12月13日
出身地 アメリカ合衆国
オハイオ州ペインズヴィル
死没 (2018-02-07) 2018年2月7日(64歳没)
ジャンルハードロック
職業ミュージシャン、ドラマー、ソングライター
担当楽器ドラム、パーカッション、ボーカル
活動期間1980年 - 2018年
レーベルビデオアーツ・ミュージック
WOWOWエンタテインメント
共同作業者MR. BIG
インペリテリ
ザ・ナック ほか
パット・トーピー(Pat Torpey、1953年12月13日 - 2018年2月7日)は、アメリカ合衆国出身のロックミュージシャン、ドラマー、ソングライター。
ハードロックバンド「MR. BIG」のメンバーとして知られ、他にもロバート・プラント、リッチー・コッツェン、マイケル・トンプソン、ザ・ナック、ジョン・パー、ベリンダ・カーライル、ジョニー・ハイランド、B'z などセッション活動でも数多くの実績を誇る。 1953年12月13日にアメリカのオハイオ州レイク郡ペインズヴィルにて生まれる(同州クリーヴランド生まれと言われているが正確にはクリーヴランドではなく少し離れたペインズヴィルという町である)[1][2]。 7歳の頃、ポルカバンドを観た際にドラマーを観て夢中になり憧れ、2?3年後にドラムスティックを買ってもらう。庭で小枝を削るなどして、ドラムスティックを作ったりもしていた。 12歳の時に親の離婚に伴い母ジャニスの故郷のアリゾナ州フェニックスへ引っ越す[3]。 14歳でラディックの中古のドラム(ブラック・オイスター・パール)を手に入れる。その当時のバンド名は「THE SLAVES OF SATAN」。 高校の頃に一番影響を受けたドラマーは、レッド・ツェッペリンのジョン・ボーナム。さらに、ミッチ・ミッチェルの影響でジャズの勉強もしたりと、独学で練習していた。 高校卒業後はアリゾナ州立大学へ進学し建築学と工学を学ぶはずだったが、クラブバンドのツアーへ出るために1年の猶予をもらい、建築現場で働いて車と新しいドラムキットを購入。「CHESHIRE CAT」、「STARZ」、「BE」というバンドを経て、その後カリフォルニア州のモントレーで「THE SPIN」を結成。THE SPINは8曲入りのデモテープと6曲入りのデモテープを製作、その全曲でパットがリードシンガーを務めている。モントレーではそれ以上先へ進むことができず、ロサンゼルスへ拠点を移し再びデモテープを作ったが、レーベルに注目してもらえずTHE SPINは解散。その後、「7TH HEAVEN」というカバーバンドに入ったが、オリジナル曲をやるために7TH HEAVENのギター兼シンガーのエリック・バーネット、チャック・ライト、ジョン・パーデルと組んだバンドが「EXPOSURE」となる。エリック・バーネットは薬物乱用の問題でクビになり、新ギタリストとしてジーン・ブラックが加入、また、ジョン・パーデルに歌に専念してもらうためキーボードプレイヤーとしてパット・レーガンを迎えたが、結局EXPOSUREは契約することはできず、バンドは解散となる。 1985年、リック・フィリップスからの電話によりベリンダ・カーライルの仕事を紹介してもらう。ハリウッドのS.I.R.でリック・フィリップス、ブレット・ダグル、ティム・ピアースとでオーディションを受け、1曲目の半分まで演奏したところで合格を告げられる。 1986年、ダブルペダルを購入しヴァンナイズのアパートにてShy Boyに合わせてダブルキックの練習を始める。その1?2週間後にチャック・ライトからの紹介によりインペリテリの『スタンド・イン・ライン』に参加し、ダブル・キック・ドラムを録音(リリースは1988年)[4]。Blood, Sweat And Tearsのボビー・コロンビーの紹介でザ・ナック のレコーディングに参加することとなり、ノースハリウッドにあるMatesスタジオでザ・ナック のメンバーと会い4曲をレコーディングし、そのままバンドに加入。 1987年、デイヴィッド・リー・ロスバンドへ行ったブレット・ダグルを通じてビリー・シーンと知り合う。
来歴ドラムプレイ中のパット (2011年)
生い立ち
ベリンダ・カーライル?Mr. Big加入前まで