小惑星については「パッサウ (小惑星)」をご覧ください。
パッサウ
Passau
紋章
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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯48度34分0秒 東経13度28分0秒 / 北緯48.56667度 東経13.46667度 / 48.56667; 13.46667
パッサウ(Passau)は、ドイツ南東部、バイエルン州の都市である。ミュンヘンから電車で2時間強、オーストリア、チェコとの国境に接する。
ドナウ川(Donau)、イン川(Inn)、イルツ川(Ilz)の3つの河川がこの地で合流することから、「ドライフリュッセシュタット(Dreiflussestadt:3河川の街)」の異名を取る。 総面積は69.72km2、人口は約50,000人。 教会オルガンとしては世界最大のパイプオルガンを有する聖シュテファン大聖堂(Stephansdom
概要
また、アウクスブルクの和議へと至る流れを決定付けた、「パッサウ条約」の舞台でもある。
17世紀後半に、2度にわたる大火災に見舞われ街は灰燼に帰したが、領主司教の働きかけによりバロック様式の街並みが形成された。
1984年4月8日、秋田市と姉妹都市提携を行った。 パッサウは、プトレマイオスの『地理学』(130年頃)に、イン川とドナウ川の間のケルト人集落名“Boiodurum“として現れている。これは、「ボヘミアに居住していた人々の町」を意味し、1世紀から3世紀までイン川の南側の岸辺にあったローマ軍増援部隊の要塞を表すようになる。2世紀半ばには両河川の間の丘の上に別の要塞が築かれ、この要塞は、駐屯したローマ軍支援部隊のバターヴァー族(ゲルマン民族の一部族で、今日のオランダ・ヘルダーラント州のベートゥヴェ“Betuwe“地方を故郷とする)の名に因んでバターヴィス(“Batavis“)と名付けられる。パッサウという地名はここから来ている。二つの要塞の間に人々が居住するが、5世紀にローマ軍が撤退すると集落も消滅する[2]。 453年ノリクムのセヴェリヌス(Severinus de Noricum; -482)がイン川の向こうに修道院を創設する[3]。7世紀にバイエルン大公荘館(bayerischer Herzogshof)が置かれるが、その後カロリング家国王荘館(karolingischer Konigsshof)も置かれる。739年、「ドイツ人の使徒」と言われる ボニファティウスはバイエルン大公オデローの支持を得て「バイエルンで、ザルツブルク、パッサウ、フライジング、レーゲンスブルクの四司教座を設置して教会組織を確立した」[4]。
年表
739年:司教座設置
740年頃:ニーデルンブルク修道院(Kloster Niedernburg)竣工
1050年:聖ポール教会(Stadtpfarrkirche St.Paul)建設
1161年:ローマ皇帝フリードリヒ1世、ニーデルンベルク修道院を司教に寄贈
1217年:ローマ皇帝フリードリヒ2世の命により、パッサウ領主司教国となる
1219年:オーバーハウス要塞(Veste Oberhaus)建設
1552年:パッサウ条約締結
1662年:火災発生
1668年:聖シュテファン大聖堂建設
1676年:ローマ皇帝レオポルト1世、結婚式を開催
1680年:火災発生。
1683年:第二次ウィーン包囲に際しレオポルト1世が避難、諸侯にウィーン救援を呼びかける。
1690年:司教の楽長にゲオルク・ムッファト就任。1704年まで。
1705年:ムッファトの後任楽長にベネディクト・アントン・アウフシュナイター就任。
1803年:バイエルン選帝侯領に編入
1928年:カハレット・ドナウ水力発電所操業開始
1952年:「ヨーロッパ週間」芸術祭開催
1978年:パッサウ大学創立
1982年:ローマ美術館開館
1985年:パッサウ・ガラス博物館(Passauer Glasmuseum)開館
1989年:パッサウ市民祭開催
1990年:現代芸術美術館開館
歴史