パソコン通信
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インターネット」あるいは「イントラネット」とは異なります。

パソコン通信(パソコンつうしん)は、専用ソフト等を用いてパーソナルコンピュータとホスト局のサーバ(またはノード、ホスト)との間で、通信回線によりデータ通信を行う手法及びそれによるサービスである。

全盛期は1980年代後半から1990年代で、のちにインターネットが一般ユーザーに開放されたため、徐々に衰退していった。商用大手としては最後まで残っていたニフティが、2006年3月末でパソコン通信サービス「NIFTY-Serve」を終了した事で、パソコン通信は事実上廃止となった[注釈 1]

パソコン通信はいわゆる「クローズドネットワーク」であり、特定のサーバ(ホスト)とその参加者(会員)の間だけをつなぐ閉じたネットワークであったため、他のネットワークに接続するには一度接続を切る必要があった。基本はクローズドネットワークであったが、提携しているサーバ(「NIFTY-Serve」と「CompuServe」など)やインターネットに元のサーバに接続しながらアクセスする事が出来るサービスを提供しているサーバもあった。これに対し、インターネットは「オープンネットワーク」であり、インターネット上のサーバ(ホスト)であれば切り替えずに複数に同時にアクセス可能である。
システム

原理的には個人同士が1対1で接続することも含まれるが、通常の利用形態としてはパーソナルコンピュータ(パソコン)にモデム音響カプラなどを接続して一般加入回線(電話回線)を経由してサーバにダイアルアップ接続していた。その中で電子メールの送受信や電子掲示板チャットなどを利用した情報交換が行われた。株式取引や公営競技の投票が運営されていた時期もある。当時の個人用パソコンには、一部の例外を除いてRS-232Cコネクタがついており、パソコンのデータはRS-232Cに変換されてモデムに送られ、そこで音声信号に変換されて電話回線を通してホスト局へ送信した[2]。反対に、ホスト局から送られてくるデータは逆の操作で利用者のパソコンに取り込まれる[2]ワープロ専用機の場合も原理は同じで、機種によってはモデムを本体に内蔵していて電話のモジュラージャックを持っているものもあった[2]。さらに、パソコン通信をするための専用ソフトウェアが必要で、利用者側はあらかじめホスト局の電話番号などをソフトウェア上に登録設定しておくことで、メニューを選ぶ感覚でホスト局に自動的にアクセスできた[2]。.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}モデムの一例。RS-232Cケーブルでパソコン側と接続し、モジュラーケーブルでLINE側を電話回線に、PHONE側を電話機に接続すれば、電話機も普通に使用できる。

ファイルアーカイブなどの機能を持つが、基本的には情報の送受信は文字データ中心である。パソコン以外にも、ワープロ専用機や家庭用ゲーム機携帯端末での通信接続もパソコン通信に分類される場合がある。

日本でパソコン通信ホストを運営していた団体・企業には、ニフティサーブ(@niftyを経て現・ニフティ)、PC-VAN(現・BIGLOBE)、アスキーネットアスキーによるサービス、後にネットワーク事業から撤退)などに代表される商用業者を始めとして、エプソンなど顧客サービスを目的としたものがあった。またそれ以外に個人やグループなどで開設した草の根BBSと呼ばれる小さい局が多数存在していたが、ニフティサーブとPC-VANの二大ネットは、それぞれ数百万の会員を集め、活況を呈した。

一方の草の根BBSはパソコン、ホスト用ソフト、着信用のモデムと通常電話回線、それに書籍から十分仕入れられる比較的簡単な技術知識があれば誰でも開設可能であり、原則無料であったが、一般向けに料金を徴収するなどの商用サービスであれば第2種電気通信事業に該当するため、当時の郵政省への届け出を必要とした。

大規模なところでは、「コミュニティー」と呼ばれる趣味・話題を共通にする集まり(ニフティサーブではフォーラム、PC-VANではSIGと呼んだ)をいくつも作り、それぞれの中で情報交換ができるようにしていた。小規模な草の根BBSなどでは、それ自体が1つのフォーラムのようになっているところもあった。音響カプラ

通信方式はインターネットの各種通信プロトコルTCP/IPなど)と異なり、基本的に無手順による文字の送受信のみ[注釈 2]で、ストップビットなど様々な項目を適正に設定しないと通信ができなかった。通信手順は通信用ソフトによって多少の違いはあるものの、基本的には通信しようとするネットワークの通信制御手順に従った設定が必要で、通信速度、使用できる漢字や文字のコードの種類、送受信が一方通行(半二重)か双方向(全二重)なのか、やりとりするデータが7ビットか8ビットかなどを相手局に合わせる[3]。これができたら、相手局の電話番号を登録してコールし、つながればID番号を問われるのでIDを送り、続けてパスワードを問われるので正しくパスワードを送ればネットにログインすることができる[3]

画像などバイナリデータの送受信もできたが、各種バイナリ転送プロトコルを使用する必要があり、後のインターネットに比べると面倒なものであった。バイナリ転送プロトコルが普及する以前に開発されたのが、ishなどバイナリデータとテキストを相互変換するツールである。電子メールでのバイナリデータのやり取りや、バイナリ転送に別課金が生じるPC-VANなどでよく利用された。

通信速度は初期には音響カプラを用いた300bps程度であったが、モデムでパソコンと電話回線を直結できるようになると、モデムの改良と歩調を合わせる形で1,200、2,400、9,600、14,400bpsへと速度が上がり、インターネット・サービス・プロバイダ(ISP)のダイヤルアップ接続アクセスポイントが主要都市に整備され始めた1996年頃には28,800bps、1997年頃には33,600bpsまで達した。現在、一般回線用モデムの能力は最高56kbpsまで上がったが、その能力を使ったパソコン通信はあまりない。ちなみに56kbpsで通信するには、サーバ側にISDN回線と専用のTA・モデム[注釈 3][注釈 4]が必要なため、一般の56kbpsモデム同士では33,600bpsが上限である。

また1980年代半ばから、アマチュア無線家の間で、無線機にターミナルノードコントローラ(TNC)と呼ばれるデータ通信機器を接続して行なうアマチュアパケット通信が流行し、シリアルポートを持つパソコンやワープロでこれらに興じる人も多かった。特にアマチュア無線用バンド(周波数帯)では、回線の状態から通信速度は稼げないものの、当時の非常に高価な(1分数十円)電話回線を用いたパソコン通信では非常に贅沢な遊びとされたネットゲーム[注釈 5]もアマチュア無線経由で流行した。
日本のパソコン通信の歴史
黎明期

1982年、在日米軍のための「CORTON-NET」が東京の山王ホテル内で開設され、またスティーブ・ベラミがアメリカ大使館内にBBSを開設した。同時期に林伸夫もApple IIをホストにしたサービス(後の「Mac Event」)を開設した。[4]

1983年8月末にはデータブレーン社が大阪に「Com Com」を開設。これはホストにPC-9801を使用し、メール、電子掲示板、チャットなどのサービスを3回線で提供していた[5]

1985年日本電信電話公社日本電信電話(以下NTT)に移行するに伴い電気通信事業法などの法律が制定・改正された(通信自由化)。


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