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テキサス州を拠点として現在運行中の「サウスウエスト航空」とは異なります。
パシフィック・サウスウエスト航空
Pacific Southwest Airlines
IATA
PSICAO
PSAコールサイン
PSA
設立1949年
ハブ空港サンディエゴ国際空港
ロサンゼルス国際空港
会員ラウンジPresidents Club
保有機材数74機(合併時)
就航地31都市(合併時)
本拠地カリフォルニア州サンディエゴ
外部リンク ⇒http://www.usairways.com/(USエアウェイズHP)
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パシフィック・サウスウエスト航空(Pacific Southwest Airlines)はかつてアメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴに存在した航空会社。アメリカウエスト航空、ピードモント航空、アレゲニー航空とともにUSエアウェイズを形成した航空会社の一つである。合併以前は全米で最初の大規模格安航空会社であり、1971年以降にダラスに本拠地を置くサウスウエスト航空が参考にしたと言われている。USエアウェイズへの合併後パシフィック・サウスウエスト航空のブランド名はジェットストリーム国際航空に引き継がれた。ボーイング社の顧客番号は14。
歴史
創始と発展PSAのボーイング737PSAのロッキード L-1011 トライスター
パシフィック・サウスウエスト航空は1949年にケニー・フリードキン(Kenny Friedkin・英語版)によって設立された。フリードキンはパイロット養成学校経営とその教官を、その後個人運営の航空会社と事業失敗を重ねていたがある旅行代理店からアドヴァイスを得て夫人と再起し、リースしたダグラスDC-3によって週に1度のサンディエゴ発バーバンク経由オークランド行の往復線を開設した。設立当初航空券の予約は第二次世界大戦中に作られあまっていたトイレを改装したチケット売り場で受け付けられていた。1951年にはサンフランシスコ湾を横断しサンフランシスコに就航し、1955年にはキャピタル航空から2機のDC-4を購入したが、このときDC-4の外装をより新しい機材であるDC-6に似せた塗装(楕円型の客室風防に額で四方を黒く塗りつぶしDC-6の正方形状風防へ偽装)を施していた。
1960年代、ロッキード L-188をサンディエゴ - サンフランシスコ線に投入し、さらに60年代終盤にはボーイング727-214とボーイング737-214に入れ替えた。このロッキード L-188に関しては、当初は利益が見込めないと判断し退役させる予定だったが、パシフィック・サウスウエスト航空が発注したL-188は後部にラウンジを設けた特殊なインテリアをしていたためサクラメント、サンノゼ、ロングビーチ、オンタリオといったカリフォルニア州の都市間ネットワークを拡充するのに中古機を含めた延べ9機が使用された。1975年にL-188のハブがサンディエゴ国際空港からレイク・タホ空港(Lake Tahoe Airport・英語版)に移され1979年に退役した ⇒[1]。ロッキード L-188・エレクトラ 1959年
しかし1978年にアメリカで航空業界の規制緩和が行われたことにより、パシフィック・サウスウエスト航空をはじめエア・カリフォルニア、ウェスタン航空、ユナイテッド航空などカリフォルニア州の主要な航空会社は運賃戦争に突入した。そのなかでパシフィック・サウスウエスト航空はリノ、ラスベガス、ソルトレイクシティ、フェニックス、ツーソンといったカリフォルニア州外の西部の都市へと路線を拡げていき、主要空港に自動発券機と自動チェックイン機の導入を行うなどしたほかメキシコのサンルーカスに国際線を開設した。またダラスにあり倒産したブラニフ航空を買収しようと画策したりワシントン州やオレゴン州、アイダホ州にも路線を伸ばしたりと積極的に事業を拡大していき、西海岸のユーレカやコンコードのような小都市には新しくBAe146を投入した。このBAe146につける名前についてパシフィック・サウスウエスト航空は新聞に全面広告を出し公募して、「Smiliner」という名前に決定した。
USエアウェイズとの合併PSA復刻塗装のエアバスA319アメリカン航空に移籍後のN742PS
1986年、ウェスタン航空がデルタ航空に、エア・カリフォルニアがアメリカン航空にとそれぞれ州外の航空会社に買収された。このうちエア・カリフォルニアはUSエアウェイズも買収を検討していたといわれ、アメリカン航空に買収されたことで計画が頓挫したことから新たな買収対象として選ばれたのがパシフィック・サウスウエスト航空だと言われている。アメリカン航空側としてはすぐにエア・カリフォルニアの取締役会を開き対策を検討したが、カリフォルニア州内での航空市場を独占することをアメリカン航空が嫌ったため、この「USエアウェイズにパシフィック・サウスウエスト航空を買収させる」というのはアメリカン航空の作戦であったとも考えられている。しかしこの計画はうまくいくことはなかった。
アメリカン航空のエア・カリフォルニア買収が発表されてから約1時間後、パシフィック・サウスウエスト航空はUSエアウェイズとの合併計画に同意した。合併は1987年に完了し1994年までにすべてのパシフィック・サウスウエスト航空の航空路線がUSエアウェイズへと移管した。しかしパシフィック・サウスウエスト航空は合併とともに会社は完全に解体されると共に拠点は東海岸側に移されて、いままでハブ空港としていたサンディエゴ国際空港は単なるコミューター空港扱いに格下げされてしまった。