パコ・デ・ルシア
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.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はサンチェス、第二姓(母方の)はゴメスです。

パコ・デ・ルシア
Paco de Lucia
パコ・デ・ルシア(2007年9月)
基本情報
出生名フランシスコ・グスタボ・サンチェス・ゴメス
Francisco Gustavo Sanchez Gomez
生誕 (1947-12-21) 1947年12月21日
スペイン
アンダルシア州 アルヘシラス
死没 (2014-02-25) 2014年2月25日(66歳没)
メキシコ
ジャンルフラメンコ
ジャズ
職業ギタリスト
作曲家
担当楽器フラメンコギター
アコースティックギター
共同作業者アル・ディ・メオラ
ジョン・マクラフリン
カマロン・デ・ラ・イスラ
公式サイトpacodelucia.org

パコ・デ・ルシア(Paco de Lucia、本名Francisco Sanchez Gomez、1947年12月21日 - 2014年2月25日)は、スペインギタリストフラメンコジャズの分野で活躍した。「Paco」は「Francisco」の一般的な愛称である。スペインではキリスト教の聖人の名前を子供に付けることが多く、同名が多くなり区別が困難になるため、母の名前「Lucia」(スペイン語表記、ポルトガル語ではLuzia)を付けて「ルシアおばさんのパコ」とした。
来歴

スペイン、アンダルシア州カディス県の港町アルヘシラスで生まれる。父や2人の兄もギターが弾け、パコもギターを習う。また、父の友人であるフラメンコ・ギタリスト、ニーニョ・リカルドやサビーカスからも影響を受けた。パコは後年、アルバム『SIROCO?熱風』(1987年)に、「ニーニョ・リカルドに捧げる」という曲を収録している。

わずか12歳で、兄のペペ・デ・ルシアとのデュオで初レコーディングを経験。1964年から数年間、リカルド・モドレーゴまたは長兄ラモン・デ・アルヘシラスとのデュオで活動。

1967年、初のリーダー・アルバム『天才』を発表。そのテクニックは日本でも知られることになるが、パコは楽譜の読み書きができず、ホセ・トレグロサが楽譜の作成を手伝い、共作者としてもクレジットされている。

1967年、カディス県サン・フェルナンド出身のカンタオール(フラメンコにおける唄い手)であるカマロン・デ・ラ・イスラとの初の共演アルバムを発表。1992年のカマロンの死まで共演は続き、フラメンコに大きな改革をもたらした。

1973年にリリースされたアルバム『二筋の川』のセールス的成功と、収録曲「二筋の川」がスペインのヒット・チャートで第1位となったことにより、スペインのみならず広くパコの名前は知られることとなる[1]左からアル・ディ・メオラジョン・マクラフリン、パコ・デ・ルシア

1977年、フラメンコの分野で活躍してきたパコに転機が訪れた。元リターン・トゥ・フォーエヴァーフュージョン・ギタリスト、アル・ディ・メオラのアルバム『エレガント・ジプシー』に参加し、ジャズ/フュージョンのファンからも認知を得る。1979年には、ジョン・マクラフリンラリー・コリエルとの3人で、アコースティック・ギター3本だけのツアーを行う。その後、ラリーに代わってアルが加入し、『フライデイ・ナイト・イン・サンフランシスコ?スーパー・ギター・トリオ・ライヴ!』(1981年)、『パッション、グレイス&ファイア?情炎』(1983年)といったアルバムを発表。この3人は、日本ではスーパー・ギター・トリオという愛称で親しまれ、1996年には再び活動を共にしている。

1990年には、チック・コリアがゲスト参加した『シルヤブ』を発表。フラメンコの枠にとどまらぬ活躍を続けた。

2014年2月25日、滞在先のメキシコ心臓発作により死去[2]

2015年3月25日に開業したマドリード地下鉄の新駅が「パコ・デ・ルシア駅(es:Estacion de Paco de Lucia)」と名付けられ、パコ・デ・ルシアの壁画が飾られている。

2016年12月21日、生誕69周年を記念して、Googleホームページのロゴが「パコ・デ・ルシア」バージョンとなった(画像)。


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