パク・チャヌク
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パク・チャヌク(2013年9月)
生年月日 (1963-08-23) 1963年8月23日(60歳)
出生地 韓国・ソウル特別市[1]
国籍 韓国
職業映画監督
脚本家
映画プロデューサー
活動期間1992年[2] -
配偶者有[3]
主な作品
映画
『JSA』
『復讐者に憐れみを』
『オールド・ボーイ』
『親切なクムジャさん』
『渇き』
『イノセント・ガーデン』
『お嬢さん』
受賞
カンヌ国際映画祭
グランプリ
2004年『オールド・ボーイ』
監督賞
2022年『別れる決心』
審査員賞
2009年『渇き』
ヴェネツィア国際映画祭
青年映画賞
パク・チャヌク
各種表記
ハングル:? ??
漢字:朴 贊郁
発音:パク・チャヌク
ローマ字:Bak Chan-uk
英語表記:Park Chan-wook[2]
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パク・チャヌク(朝: ? ??、漢: 朴 贊郁[2]、英: Park Chan-wook、1963年8月23日[1] - )は、韓国の映画監督、脚本家、映画プロデューサー。 韓国のいわゆる386世代の一人。自身の監督作品のうち『復讐者に憐れみを』、『オールド・ボーイ』、『親切なクムジャさん』を"復讐三部作"、『サイボーグでも大丈夫』、『渇き』、『イノセント・ガーデン』を"人間ではない存在の三部作"というテーマでくくっている。 1963年8月23日、ソウル特別市生まれ。本貫は潘南朴氏[4]。建築学の教授だった父親について幼少期からよく展示会に通っていた。美術に関心が高く、学生時代は美術史学者を夢見ていた(パク・チャヌクの実弟は設置美術家・美術評論家のパク・チャンギョン)[5]。 パクが青年期を過ごした1980年から1988年のソウルは、独裁者だった全斗煥統治下の壮絶な状況にあり、そのような過酷な環境下で育ったことがパクの想像力に大きな影響を与えたという[6]。 建国大学校師範大学附属中学校、永東高等学校を卒業後の1983年、美術史学者を目指して西江大学校哲学科に進学。写真クラブ「西江会」に所属する一方、大学図書館で映画関連の書籍を読み漁り、大学の仲間たちと共に映画サークル「西江映画共同体」を結成。多くの映画を観るようになり、映画監督になることを決意する[5]。 大学在学中、教授が開いた小規模の映画上映会でアルフレッド・ヒッチコック監督の『めまい』を鑑賞したことをきっかけに、ヒッチコック作品に魅了される[5]。以降はあまり有名ではない映画を探し回るようになり、アベル・フェラーラやハル・ハートリー、アキ・カウリスマキの映画に興味を持った。これらの作品を好むようになったことで、完璧さを追求した映画よりも、技術や脚本もなく撮られたような完璧には程遠く粗い印象の映画に惹かれるようになる。それから多様な映画と出会う中で、本格的に映画に傾倒していく[7]。 また、1983年に映画評論家として文壇に登場し、以後約9年間映画評論家として活動した[5]。 1988年に西江大学を卒業した後、映画監督のイ・ジャンホが設立したパン映画社の演出部の一員となる。演出部時代にクァク・ジェヨンに出会い、クァクの映画監督デビュー作『雨降る日の色彩画』(1989年)の助監督を引き受ける。
人物
来歴第62回カンヌ国際映画祭にて(2009年5月)
生い立ち
映画界入り
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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