パキスタン・ターリバーン運動
[Wikipedia|▼Menu]

パキスタン・ターリバーン運動
????? ?????? ???????
ワジリスタン紛争に参加
パキスタン・ターリバーン運動が使用する旗
活動期間2007年12月?現在
活動目的パキスタン政府からの分離独立[1]
パシュトゥーン民族主義[2]
イスラム主義[3]
タクフィール主義(英語版)
原理主義
ワッハーブ派
分離主義
構成団体パシュトゥーン人
指導者バイトゥッラー・マフスード
ハキームッラー・マフスード
マウラナ・ファズルッラー
ヌール・ワリ・メスード(英語版)
活動地域

パキスタン

カイバル・パクトゥンクワ州

上位組織 ターリバーン(ターリバーン側は拒否)
関連勢力

イスラム国 ホラサン州

アルカーイダ

ウズベキスタン・イスラム運動

ターリバーン(非公式・カシミール紛争介入)

アフガニスタン(8月15日に政府事実上崩壊)

アフガニスタン(非公式)

敵対勢力
パキスタン

中華人民共和国

アメリカ合衆国

イギリス

ターリバーン(時折)

ウェブサイトUmar Media
テンプレートを表示

パキスタン・ターリバーン運動(パキスタン・ターリバーンうんどう、ウルドゥー語: ????? ?????? ???????‎, 英語: Tehrik-i-Taliban Pakistan, TTP)は、パキスタン連邦直轄部族地域(FATA)の南ワズィーリスターンを拠点にカイバル・パクトゥンクワ州などアフガニスタン国境地帯で活動するイスラム主義武装組織。ウルドゥー語の意味は「パキスタン学生運動」であるが、傘下に多くの武装集団(兵力推計35,000人)を抱える。日本のマスコミではターリバーンの呼称が「タリバン」、もしくは「タリバーン」で表現されることから「パキスタン・タリバン(タリバーン)運動」と呼称されることもある。
概要

パキスタン国内のターリバーンを支持する集団を統合する目的で、2007年12月にバイトゥッラー・マフスードを最高指導者としてパキスタン国内の13のターリバーン系組織が合体して発足した。

シャリーアに基づくイスラム国家発足が目標でありパキスタン政府の打倒を掲げている。「パキスタン・ターリバーン運動」(TTP)は軍統合情報局(ISI)から直接支援されたアフガニスタンのターリバーンとは直接の関係はないが、2008年2009年ムハンマド・オマルから「パキスタン国内での反政府活動よりアフガニスタンでの反米活動を支援して欲しい」との要請を受け、TTP指導部はムハンマド・オマルやウサーマ・ビン・ラーディンとの提携を進めた。これまでのところ、TTPの活動は主にパキスタン国内であるがクアリ・フセイン(Qari Hussain)はアメリカの都市を標的としていくと宣言した。2009年チャップマン基地自爆テロ事件などを起こしたのはTTPである。同年以降、パキスタン政府はワジリスタン紛争でTTPへの攻勢を強めている。
歴史

TTPはアフガニスタン紛争が起こるとトライバルエリア(FATA)に逃げ込んだ非パキスタン人(主にアラブ人中央アジア出身者)に対して2002年パキスタン軍が行った掃討作戦がルーツである。パキスタン軍のワズィーリスターン進攻はアル・カーイダやアフガニスタンのターリバーン掃討が目的であったが、ワズィーリスターンの部族勢力および武装勢力は共同で2004年に反政府の自治を進めた。

2006年10月のアメリカ軍によるバージャウルのマドラサ攻撃がパキスタン・ターリバーン運動(略称:TTP)発足の契機になったとされる[4]

2007年にはTTPの存在が公表されると翌年、パキスタン政府はTTPを禁止し銀行口座を凍結した。

2008年末から2009年にかけてムハンマド・オマルがTTPに使者を送りアフガニスタン国内に駐留するアメリカ軍への攻撃支援を要請すると、TTPの指導者であるバイトゥッラー・マフスード、ハーフィズ・グル・バハドゥルマウルヴィ・ナジルの三者はそれに応え路線対立を停止し2009年2月に「統合ムジャーヒディーン評議会」(SIM)を結成した。同年8月、アメリカ軍の空爆でバイトゥッラー・マフスードが爆死すると権力闘争が勃発、弟のハキームッラー・マフスードが後継者となった。新体制になって反政府の自爆テロが活発化した。特にシーア派アフマディーヤスーフィーなどの民間人も自爆テロの標的となった。

2010年にアメリカはTTPを国際テロ組織に指定、2011年にはイギリスもテロリスト集団としてその活動を禁じた。

2012年10月、TTPから脅迫を受けながらも教育を受けられる権利を訴えていた15歳の女性、マララ・ユサフザイへの銃撃事件を企て、国内外から大きな非難を浴びた。非難はイスラム主義者からもなされ、アフガニスタンの軍閥指導者グルブッディーン・ヘクマティヤールは、女子教育の必要性を指摘し、TTPの行動を「非道」と批判した[5]が、TTPは「女が教育を受ける事は死に値する罪」と反発。

2012年12月27日には、パキスタン北西部ペシャーワルの検問所で、地元住民からなる民兵がパキスタン・ターリバーン運動の武装集団に襲撃され、23人が拉致される事件が発生。30日には、この23人のうち21人の遺体が見つかるなど、衝突が続いている[6]

2013年6月23日、ナンガパルバット登山のためのベースキャンプ地を武装集団が襲撃、外国人登山客10人が死亡。TTPが犯行声明を出す[7]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:55 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef