パエストゥム
Paestum
行政
国: イタリア
州: カンパニア
県: サレルノ
コムーネ:
カパッチョ=ペストゥム
市外局番:0828
CAP(郵便番号):84063
人口
人口:1,000人(概算) ()
文化
住人の呼称:Pestani
地理
座標:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯40度25分0秒 東経15度0分0秒 / 北緯40.41667度 東経15.00000度 / 40.41667; 15.00000
パエストゥム (Paestum) は、イタリア南部カンパーニア州サレルノ県カパッチョ=ペストゥムにある古代ギリシア、古代ローマ遺跡。 1998年には、ユネスコ世界遺産に登録された。
パエストゥムとはポセイドニア(Poseidonia、古代ギリシア語: Ποσειδων?α)が訛ったもので、イタリア読みでは「ペストゥム」が近い。ルカニア人に征服されていた時期は、Paistos と呼ばれていた。その後、ローマに再征服され、パエストゥム、もしくはPestoと呼ばれた。 3世紀半ばの地理学者ガイウス・ユリウス・ソリヌス
歴史
ギリシアの植民地としてポセイドニアとされた。建設時期の文献記録は残っていないが、考古学の調査では紀元前600年ごろだと推測されている[2]。
その後、ルカニア人に占領された。紀元前273年にピュロス戦争によって、ギリシアの支配下になった。ハンニバルによるカルターゴー侵攻の間、都市はローマに忠誠を捧げたことで、独自の貨幣鋳造権などの特別な特権が与えられた。西暦400年頃に司教区となった。
その後、もろもろの事情で沿岸部から人が離れ、数キロ離れたアクロポリスのような崖の上への移住が起きた。この理由として、船を造るため森林破壊を進めた結果、洪水が多発し、沿岸部が湿地となり、それに誘発されて蚊が媒介するマラリアが蔓延したことが挙げられている。さらに追い打ちでサラセン人の海賊が襲ってきたことも原因とされている。使われなくなったら忘れられるもので、ローマの都市ポンペイの再発見に続いて、18世紀になって再び注目されることとなった[3]。 ポセイドニアは、海の神ポセイドーンの町の意味である。紀元前550年ごろゼウス神の伴侶でオリュンピアの女王ヘーラーのための神殿建築が行なわれた。このヘーラー神殿は古典的周柱式神殿のひとつである。その100年後ぐらいに町の主神ポセイドーンのための神殿が建てられた。
神殿