パウロー・スコロパードシクィイ
[Wikipedia|▼Menu]

パウロー・スコロパーヅィクィイ

紋章

称号ヘーチマン1918年
身分貴族
家名スコロパーヅィクィイ家
民族ウクライナ人
父親ペトロー・スコロパーヅィクィイ
生没1873年5月3日 - 1945年4月26日
宗教正教徒
テンプレートを表示

パウロー・スコロパーヅィクィイ(ウクライナ語:Павло Петрович Скоропадський;1873年5月16日1945年4月28日)は、ウクライナ政治家ロシア帝国軍人である。ウクライナ・コサックの氏族、スコロパーヅィクィイ家の当主。日露戦争第一次世界大戦に従軍した。ウクライナ国ヘーチマン1918年)を務めた。日本語文献ではスコロパツキーとも表記される[1]
生涯
ロシア帝国時代満州におけるスコロパーヅィクィイ。

パウロー・スコロパーヅィクィイは、1873年5月16日ドイツ帝国ヴィースバーデンに生まれた。彼の先祖は、ロシア帝国に対し反旗を翻したヘーチマーン、イヴァーン・マゼーパの次に左岸ウクライナのヘーチマーンに任ぜられたイヴァーン・スコロパーヅィクィイの弟だった。少年時代はロシア帝国チェルニーヒウ県プルィルークィ郡トロスチャヌィーツャ村で過ごした。1886年から1893年にかけてロシア帝国のペテルブルク皇帝小姓学習院で学んだ。卒業後、少尉の位階を賜り、帝国軍親衛騎兵連隊で軍務を務めた。

1904年にスコロパーヅィクィイは日露戦争に参加することを志願し、ザバイカル・コサック軍チタ連隊第5百人隊の指揮をとった。彼は満州での戦いにおいて度々手柄を立て、ロシア政府より「武勇のため」に聖ゲオルギーの黄金刀を授与された。その後、スコロパーヅィクィイは極東軍総司令官リネーヴィチ副官となり、1905年12月以後、ロシア皇帝ニコライ2世の副官となった。

1910年9月にスコロパーヅィクィイは第20フィンランド竜騎兵連隊の司令官に任命され、1911年4月に親衛騎兵連隊の司令官となった。1912年3月25日に、彼は少将の位を賜り、皇帝連隊に属されるようになった。

第一次世界大戦の時、スコロパーヅィクィイは騎兵連隊と第一親衛騎兵師団の指揮をとっていた。1916年に彼は中将となり、来年1月にウクライナで駐屯する第34陸軍軍団の司令官となった。
革命時代第一次世界大戦寸前のスコロパーヅィクィイ。

1917年に勃発した二月革命の結果、皇帝ニコライ2世が退位してロシアの君主制が倒された。スコロパーヅィクィイは事実上に入隊誓約から解放され、同年7月から10月にかけて自ら指揮する軍団でウクライナ化を行った。元来、彼は政治に対して無関心であったが、ロシア帝国の崩壊に伴ってウクライナ民族解放運動に関わるようになった。6万人の戦士を含むスコロパーヅィクィイの軍団は、第1ウクライナ軍団と改名され、1918年初めまでに最も戦闘力のあるウクライナ系部隊であった。1917年10月以後、この軍団はシェペチーウカ・コジャーティン・フルィスティーニウカ・ヴァプニャールカの前線でロシアの赤軍と戦い、中部ウクライナへのボリシェビキの進出を防いだ。

1917年後半にスコロパーヅィクィイの権威がウクライナ中で高くなり、同年10月に彼は自由コサック大会においてウクライナの大オタマーンとして選ばれた。1917年11月、スコロパーヅィクィイはウクライナ人民共和国の臨時国会にあたる中央ラーダを守護し、ヴィーンヌィツャ周辺にキエフを目指すボリシェビキ系の旧ロシア帝国軍の第2親衛軍団の進行を止め、その武装を解除させて、ロシアへ送り出させた。

スコロパーヅィクィイは旧ロシア帝国軍の基でウクライナの正規軍を編成すること主張し、ウクライナの軍人の間に大人気を得た。しかし、ウクライナ正規軍の必要性を否定するウクライナ人民共和国の中央ラーダ、とりわけ社会主義と平和主義の思想を唱えるウクライナの指導者と対立するようになった。その結果、1917年12月25日、スコロパーヅィクィイは第1ウクライナ軍団の司令官から退職し、指揮権を少将ヤキウ・ハンジュークに譲った。

スコロパーヅィクィイはウクライナ人民共和国の政府が行う社会・経済・軍事政策に反対し、1918年初めにウクライナの古来伝統に基づく保守的な政権を作るために同志を集めはじめた。1918年3月に彼はウクライナ団体(Укра?нська громада;後にウクライナ人民団体:Укра?нська народна громада)という政党を組織し、ウクライナにおける独裁政権を建てる準備を開始した。この政党は、ウクライナ人民共和国の政治に不満を募るウクライナの地主連盟・民衆農耕党・金融関係者や、ウクライナを赤軍から解放したドイツオーストリア軍の司令部などによって支持された。
ウクライナ国時代ウクライナ国政府の閣僚と、手前中央軍服姿がスコロパーヅィクィイ灰色外套師団を隊容検査するスコロパーヅィクィイ


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:26 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef