Paul Johannes Tillich
パウル・ヨハネス・ティリッヒ
(パウル・ヨハネス・ティリヒ)[1]
ジェームス・ロザティ
パウル・ティリッヒ(Paul Johannes Tillich、1886年8月20日 - 1965年10月22日)は、20世紀のキリスト教神学に大きな影響を与えたドイツのプロテスタント神学者。組織神学、宗教社会主義の思想で知られる。20世紀においてカール・バルトと並ぶ神学者であり、その影響は広く哲学や思想、美術史に及ぶ。 ベルリン近郊の村で牧師の子として誕生した。ベルリン大学に進学し、そこで神学や哲学を学んだ。 1907年にエマヌエル・ヒルシュ
生涯
ヒトラーが政権を握った後、迫害を受け、1940年[1]アメリカに亡命・帰化した。ユニオン神学校やハーヴァード大学などで教授を務めた。パウル・ティリッヒの墓石。 ティリッヒの体系は、相関関係の原理を軸として構築されている。彼は、宗教と文化、教会と社会、神学と哲学などの境界線上に立ちながら、それらを相関させ、両者の深い次元での統合を目指す。人は、聖書のメッセージを永遠の真理として、その中に閉じこもることもできる。しかし、ティリッヒは、人が現にある時代や状況の中で問われる問いに対して、キリスト教の真理によって答えることが神学の役目であり、さらに「哲学の問いと神学の答え」という関係はそこから生まれると説いた。 そして、それは彼が思想史の中で用いている概念を理解しておくと理解しやすい。かつて宗教が人々に対して強制的な力を行使していた時代があった。イエスやルターによる変革前の宗教者のことを考えればいい。このように、信仰が外部から強制されているような状態を他律 ティリッヒは宗教を定義して究極の関わりという。つまり、キリスト教に限定することなく、人が何かに究極的に関わり、それによって根本から支えられているとき、そのようなものが宗教と呼ばれるのだ。このような宗教観は一般的には非宗教的と考えられる人々をも包み込んで、宗教が人間にとって決定的なものであるということを示す。教会に通うかとか、お祈りをするかとかいったことをしない人間も、その存在を支える何かを求める限りは宗教的なのであり、その意味で人が生きる限り宗教はなくなることはない。宗教がそのようなものであるならば、その関わりとは絶対的な無制約者を体験することでなくてはならない。しかし制約された、本来究極的でないものを究極的とすることから人は挫折し、絶望に陥る。それでは真に究極的な関心を払うべきものとはなにか。それは「私たちの存在、あるいは非存在を決定するもの」だとティリッヒは述べる。存在するかしないか、生きるか死ぬかということこそまさに存在する者、生きるものにとって究極の問題である。ならばそれを決定するものとはあれこれの存在のうちのひとつではなく、存在と非存在を超えて存在の根拠となるようなものだ。だから神の神とは存在を存在たらしめる存在の力、あるいは存在の根底、存在それ自体だとティリッヒは言う。 天上に住まって人を見下ろす人格神 ティリッヒは信じるということは疑うことと切り離すことができないと考えている。神は対象として確かめることができないから、もちろん理論的に証明することはできず、信仰は実存的な決断にならざるを得ない。よって不確実性を内に孕んでおり、誠実さがあれば疑いは避けて通れないと言える。しかし疑いのうちにおかれながらも、それにもかかわらず信じることは、否定のうちから発してしかも否定を凌駕する大いなる肯定であり、疑いをただ避けようとする信仰とはまた別の信仰である。疑うことは信仰にとってマイナスでしかないという考えは、疑いに置かれたものにとって罪の意識を強めるばかりだが、疑いがあることはむしろ人にとって自然だとティリッヒは考える。非存在は存在と同様に根本的であり、人は絶えず非存在の脅威におびやかされている。しかし、だからこそ存在が無に抗して自己を肯定すること、勇気が必要とされる。勇気には個人としての自己の肯定である個人化の勇気と包括的部分としての自己の肯定である参与の勇気とがあるが、無の不安を引き受けることのできる大いなる肯定を個人や社会から得るのには限界があるため、それらを超越する存在の力に根ざしていなければならない。懐疑に抗して信じることも、非存在に抗して存在する(生きる)ことも、根は存在の力から発する。存在の力、すなわち宗教経験の世界のうちでの「個人化」は神と人との人格の交わりであり、ここでの「参与」は存在の根底へと参与することで合一へと接近する神秘主義である。
ニューハーモニー (インディアナ州)。
思想
応答する神学
究極なるもの
存在への勇気