パイパー_(潜水艦)
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USS パイパー

基本情報
建造所ポーツマス海軍造船所
運用者 アメリカ海軍
艦種攻撃型潜水艦 (SS) →補助潜水艦 (AGSS)
級名バラオ級潜水艦
艦歴
起工1944年3月15日
進水1944年6月26日
就役1944年8月23日
退役1967年6月16日
除籍1970年7月1日
その後1971年6月、スクラップとして売却。
要目
水上排水量1,526 トン
水中排水量2,424 トン
全長311 ft 9 in (95 m)
水線長307 ft (93.6 m)
最大幅27 ft 3 in (8.31 m)
吃水16 ft 10 in (5.1 m)
主機フェアバンクス=モース38D8-1/8型ディーゼルエンジン×4基
電源エリオット・モーター(英語版)製発電機×2基
出力水上:5,400 shp (4.0 MW)
水中:2,740 shp (2.0 MW)
最大速力水上:20.25 ノット (37 km/h)
水中:8.75 ノット (16 km/h)
航続距離11,000 海里/10ノット時(20,000 km/19 km/h時)
潜航深度試験時:400 ft (120 m)
乗員士官6名、兵員60名
兵装.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

21インチ魚雷発射管×10基(前方6,後方4)/魚雷×24本

5インチ砲×1基

40mm対空機関砲

20mm機銃

巡航期間:潜航2ノット時48時間、哨戒活動75日間
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パイパー (USS Piper, SS/AGSS-409) は、アメリカ海軍潜水艦バラオ級潜水艦の一隻。艦名Piperは、サヨリ科のキューバでの呼び名に由来する。
艦歴

パイパーは1944年3月15日にメイン州キタリーポーツマス海軍造船所で起工した。当初の艦名はサバヒー(英名Milkfish)のハワイ語名に因みアワ (Awa) の予定であった。6月26日にチャールズ・W・ウィルキンズ大佐の夫人によって命名、進水し、8月23日に艦長バーナード・F・マクマホン中佐(アナポリス1931年組)の指揮下就役する。第二次世界大戦の終盤に就役したパイパーであったが、終戦までに3回の哨戒を完了し、空襲部隊の救助任務および空母任務部隊のピケット任務に従事した。
第1の哨戒 1945年1月 - 3月

1945年1月25日、パイパーは最初の哨戒でボーフィン (USS Bowfin, SS-287)、ポンフレット (USS Pomfret, SS-391)、スターレット (USS Sterlet, SS-392)、トレパン (USS Trepang, SS-412) とウルフパック「マックズ・モップス Mac's Mops」を構成し、小笠原諸島方面に向かった。この哨戒では、この方面にある特設監視艇群を蹴散らして来るべき硫黄島の戦いを支援する第58任務部隊マーク・ミッチャー中将)やB-29などへの手助けをする任務が与えられており、この任務にはもう一つのウルフパック、ラガート (USS Lagarto, SS-371)、ハダック (USS Haddock, SS-231)、セネット (USS Sennet, SS-408) の「ラタズ・ランサーズ Latta’s Lancers」も従事していた。「マックズ・モップス」はサイパン島に寄港の後、2月10日に硫黄島近海の担当海域に到着。2月13日までの最初の3日間は何も発見できなかった。パイパーは3月24日までの間、本州南方でB-29への支援と監視艇探索の任務を交互に実施。2月25日夜、パイパーは.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度06分 東経138度28分 / 北緯34.100度 東経138.467度 / 34.100; 138.467の地点で2隻の船舶を発見し、2,000トン級の船を浮上雷撃により撃沈したと判断した[1]。しかし、実際に撃沈したのは特設監視艇第三宝松丸(吉川広之、111トン)であった[2]。哨戒の最後の4日間は、九州沖航空戦で大破し曳航されている空母フランクリン (USS Franklin, CV-13) への支援に従事した[3]。3月30日、パイパーは60日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。
第2の哨戒 1945年4月 - 6月

4月26日、パイパーは2回目の哨戒でオホーツク海に向かった。5月3日にオホーツク海の哨区に到着し、5月14日から5月25日まで同海域で哨戒を実施した。この哨戒で見た船舶のほとんどが様々なソ連船であったが[4]、5月27日、パイパーは濃霧の中2隻の小型商船と思われる目標を探知し攻撃を行い、その攻撃は2,000トンないし4,000トン級の貨物船を撃沈したと判断された[5]


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